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■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百八拾七夜■
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こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □



戦友/東京ベンチャーズ

赤く赤くハートが/ザ・レインジャーズ

イン・マイ・ワールド/沢村和子とピーターパン

黄色の世界/Jガールズ

トワイライト・ゾーン/ザ・スパイダース

ハイウエー・ラブ/ブルー・シャルム

ハートブレイク・ホテル/ザ・リード





戦友/東京ベンチャーズ



悲壮な軍歌もエレキもの

となると途端にお気楽な

ムードが横溢いたします。


ジャイアンツが65年にだした

「恋愛射撃隊」などと

比べると学生寮歌的な

バンカラ唱法でないところが

斬新であります。


なお、東京ベンチャーズの

当初のメンバーは

ヴォーカル:本山智昭

リードギター:近藤正邦

ドラム:古川かおる

サイドギター:清水秀男

ベース:足立馨

サイドギター・ヴォーカル:三好純


の六人でした


(シルビーフォックス結成にともない

本山智昭はピート七福、清水秀男はダン清水と改名)


66年になると

近藤に変わってスペイスメンから

渡辺昌宏が入ってきましたが


11月にはサベージへ移籍しています


しかし、66年11月のリリースの

コンパクト盤『軍艦行進曲』の

ジャケットにはしっかり

右端でエレキをもっている

姿が映っております。




赤く赤くハートが/ザ・レインジャーズ


世界最古のパンクバンド


デヴュー当初は

レインジャーズと名乗っていた

彼らだが


二枚目のシングルから

バンド名の表記が


レンジャーズと

変更している


なので

1966年ごろにコロムビアからインストものを出してる

「ザ・レンジャーズ」や

フラワーズの前身バンド「キャシー五月とザ・レンジャーズ」とは無関係


67年11月に発売された

二枚目のシングル

「赤く赤くハートが」




痙攣はエルヴィス・プレスリー以来

ロックの重要なキーワードの一つだが


GS史上、最大の

”痙攣”感覚を持ったヴォーカリスト

がレンジャーズの宮城ひろしであった


1949年生まれ

東京都出身


かつてNHK 『次郎物語』に

出演していた子役あがり



タップダンスの腕前はプロ級



67年11月に発売された

二枚目のシングル

「赤く赤くハートが」のA面

である本作では


神の啓示か

負のリビドーのなせる技か

宮城ひろしの

驚異的な自暴自棄唱法

を聴くことができる


これを早すぎたパンクと

称するのであれば

ジャックスよりも早い


なお、

大映映画

「ある女子校医の記録・妊娠」では

この曲のライヴシーンをじっくり

みることができる




イン・マイ・ワールド/沢村和子とピーターパン



遅れてきた境界線上GS


ジャズ歌手の沢村美司子(みつこ)の

妹である沢村和子が1968年に

結成し、翌年1969年に

コロムビアから

『赤い星のボレロ』で

デヴューした

幻の名グループ


この

「イン・マイ・ワールド」は

70年代の傑作日活青春グラフティ

夏 純子 主演

『不良少女魔子』(1971年8月25日封切)


のディスコティークのシーン音源から



ピーターパンは

71年4月にはRCAビクターに移籍し

セカンド・シングルのA面で

この曲をリリースしたのが


ラスト・シングルとなった



黄色の世界/Jガールズ


葉月しのぶ と 葉月ジュン姉妹による

J・ガールズは人気作曲家

三沢郷とともに活動し

1969に静かなナンバー

「あなたが来ない日」でデヴュー


お聞き頂いた

「黄色の世界」は


同じレコーディング・セッションに

よるものだが


デヴュー曲よりもさらに素晴らしい

仕上がりで


1995年に発売された

コンピレーションCD

『キューティー・ポップス・コレクション』

で紹介されるまで

お蔵入りとなっていた


この曲はピチカート・ファイヴの

『グッドナイト・トーキョー』と

ジョニー・デップのコカイン映画

『ブロウ』のサウンド・トラックにも収録されている





トワイライト・ゾーン/ザ・スパイダース


77年にクラウンから出た

LPの『栄光のスパイダース』収録曲


元々は65年に

録音されながらも

そのままお蔵入りになっていたもの


ちなみに、

ビクターから65年に

『越天楽ゴーゴー』のB面として出たものと違って

ステレオ・ヴァージョンである


大野のスティール・ギターが

サウンド・エフェクト的に

効果を出しているスペースもの




ハイウエー・ラブ/ブルー・シャルム



作曲家、馬飼野康二(マカイノコウジ)

が在籍していたことで

知られるグループ



1968年結成

六本木のクラブで

演奏していたところを

西郷輝彦に

見出され


CBS・ソニーと契約

69年1月に

「抱きしめたくて」

でデヴューした


GS的外見にもかかわらず


当初は

”ムード歌謡のヤンググループ”

というキャッチコピーで

全くのムード・コーラス・グループとして

売り出された


当時は流行のムード・コーラスで行くか

落ち目のGS路線で行くか

迷いがあったようだ


しかしその後は本来の路線に

転じ、1969年夏に出した

二枚のシングルのA面は

いずれもGS調のものだったが

ヒットには繋がらなかった


お聞きいただいたのは

その

1969年8月にリリースした

二枚のシングルのうちの一つで

『ハイウエー・ラブ』のA面

「ハイウエー・ラブ」


このバンドとしては最も

GS色の濃い作品で


サウンドエフェクト入りの

ホット・ロット歌謡


オーケストラはなかった方が

よかったのかもしれない





ハートブレイク・ホテル/ザ・リード




1968年10月25日リリースだった

リードのファースト・アルバム

『ザ・リード・ゴーズR&B』

に収録された曲


”ロックン・ロール・リバイバル”

という当時の風潮に便乗し、

オールディーズのR&B的解釈を

試みたアルバムであったが


実際にはR&Bというより

ブルース・ロック

といったほうが近い

仕上がりだった。




プレスリーのナンバーのカヴァー

「ハート・ブレイクホテル」では

チョーキング奏法の

伝道師マークのギターと伴に

ブルース・ハープも用いた

シカゴ・ブルース・スタイルの

演奏が聴ける


これを聞けば

完全にブルース・ロックの

アルバムだったことが

ご理解いただけるのではないか

と思う。


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# by marquis_de_d | 2024-03-17 21:00 | RADIO R'lyeh
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□ 今夜紹介する楽曲 □



エンド・オブ・ラブ/ザ・スパイダース

マイ・ラブ・マイ・ラブ〈ラフ・ミックス〉/ザ・ヤンガーズ

今も…/ザ・サマーズ

ブルーフィンガーズ/ザ・フィンガーズ

君と歩こう/アウト・キャスト

三つの花/ザ・ダウン・ビーツ

Koibito Jidai/Sylvie Vartan



エンド・オブ・ラブ/ザ・スパイダース



明治百年とスパイダース結成七周年を

記念して発表された

1968年10月リリースのアルバム

「明治百年すぱいだーす七年」


A面には

スパイダースそれぞれのメンバーが

作詞作曲しソロをとったオリジナル曲を

披露したのアルバムだが、

B面の3曲目に収録された


かまやつ作のR&Bサイケで

ジミ・ヘンドリックスの

「ストーン・フリー」に

影響されて作ったという

「エンド・オブ・ラブ」

聞き逃せない一曲




マイ・ラブ・マイ・ラブ〈ラフ・ミックス〉/ザ・ヤンガーズ


デヴュー前から

ファンクラブの会員が2000人いた

というヤンガーズ


ヤンガーズは元々

新宿のジャズ喫茶

ラ・セーヌが全国から

優秀なメンバーを

スカウトして67年9月に

結成したバンド。



1968年にリリースされた

彼らのデヴューシングル・カップリングの

最終ミックス前のテイク



全ての楽器のダビングと

歌とコーラス入れを終えたままの

ラフなミックスで


エコー処理などを施した

完成ヴァージョンよりも

各楽器の存在感が

際立って聞こえて

よりリアルなサウンドを

楽しめたのではないか。


マスターテープに

付随している

データ・シートによると

「マイ・ラブ・マイ・ラブ」は

当初は「孤独の愛」

というタイトルが付けられており

最終ミックスを終えた時点でも

このタイトルのままだった。



今も…/ザ・サマーズ



ストリングスなどを入れずに

バンドのみによる

シンプルなアレンジが潔い

うっすらとかけたファズ、

ぴよぴよなくオルガン

勢いまかせの

ツイン・ボーカル

溌剌ガレージ・パンク

マイナーガレージの名曲

ザ・サマーズの

「今も…」


コロムビアからの

デヴュー作

『たった一言』のB面



1967年に結成された

北海道洞爺出身の

典型的なガレージバンド

洞爺湖で夏合宿して

猛特訓し、68年に

札幌のコロンビアの特販で

自主制作

シングル「朝から晩まで」

をリリースしたのが縁で

コロンビアに認められて

68年10月にデノンから

メンバーによるオリジナル

『たった一言』でメジャー・デヴュー


デヴュー後

東京のジャズ喫茶にも出てましたが

なじみは薄く、もっぱら札幌の

ラジオ局HBCを中心に活動していたグループ


--------------------------------------

リーダーの北は70年の

瀬川洋の

ニュー・ダイナマイツに参加

------------------------------------------------------


北海道のGSは

ムードコーラス感の強いことと

アメリカの

地方ガレージバンドと通底する

空気を持つ曲が何故か多い

広大な大地がそうさせるのか




ブルーフィンガーズ/ザ・フィンガーズ


模範的演奏


フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』で

優勝しおなじみになった




荒井由美が

このバンドの

取り巻きだったことは

有名な話



65年には

慶大風林火山杯

日米対抗バンド合戦

グヤトーン全国アマチュア・バンド・コンテスト

はじめ数々の

エレキバンドコンクールに出場し

賞を総なめ

さらに66年の

「勝ち抜きエレキ合戦」では

グランド・チャンピオン

となり全国にそのなを

轟かせた

慶応大学の実力派エレキ・バンド


本作は67年7月にでた

2枚目のシングルの『ゼロ戦』のB面で


リーダーの高橋信之

(高橋幸宏の兄)の作った

珍しく、アメリカ的な

サウンドでガッツのある

ガレージ・インスト・ロック・ナンバー



ザ・フィンガーズは

レコードでは初期は

主にエレキ・インストで

もちろん、腕に自信が

あるゆえでしょうが、

しかし

GSブーム真っ盛りのころには

時代遅れ感が否めなかった


そこで、この後に

インスト・バンドからの

脱皮をはかり、徐々に

メンバーを交代。


68年には

キング/ロンドンから

「日本初の本格的ソフト・ロック・グループ」

を謳い文句に

「愛の伝説」で再デヴューしています

(あんまり売れなかったけど)




君と歩こう/アウト・キャスト



後の大物業界人を

多数排出した

渡辺プロのGS

実力派集団アウト・キャスト



スタジオミュージシャンや

音楽プロデューサー、

作家となる

メンバーも多く、


実力はあったが

人気に恵まれなかった

はやすぎた

GSアウト・キャスト


エレキ・バンド

”ブルー・エース”の

水谷淳(作曲家:水谷公生)が中心になり

66年春に結成された



67年11月に出た

アルバム『君も僕も友達になろう』

のなかの一曲。


キャンディーズの

『春一番』の生みの親であり

後に大作曲家となる

オルガンの穂口雄右がはじめて発表した作品



三つの花/ザ・ダウン・ビーツ


各アマチュア・バンドで

リーダーとして活躍して

いた連中を中心に

女性ボーカルを加え

67年秋に結成されたグループ


メンバーの大半は

鵠沼・葉山・鎌倉といった

湘南地区出身の

大学生だった。


本作は68年2月25日に

発売されたデヴュー・シングルのB面


アーリー60'sばりの

ポップンロールで


ジューシー・フルーツの

『涙・涙のカフェテラス』の

先駆的作品とも言える

ポップな構成の曲だが

あまりにもチープな音で

当時はそれが古いのか新しいのか

よくわからなかったという。


しかも

女性ボーカルの

富永万知子も

この後デヴューシングルの後

すぐ脱退してしまう







Koibito Jidai/Sylvie Vartan



71年二度目の来日公演の際、

レコーディングされた日本語の

オリジナル・ナンバー


典型的歌謡ポップスだが


五月の草原を

吹き抜ける風のような

爽やかな

仕上がり


流暢な日本語は


日本びいきの

シルヴィならでは。


レコードのジャケットにも

親日家

と評されている


フランス語の特徴的な

鼻母音といって

母音のあと鼻から音を抜く

発音が


純粋無垢な少女のイメージが

胸に突き刺さる



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□ 今夜紹介する楽曲 □



サンシャイン・オブ・ユア・ラブ/ザ・ワイルド・ワンズ

グリーン・オニオン/ズー・ニー・ヴー

ラブ・ポーション No.9/田辺昭知とザ・スパイダース

YOUNG GUY IN RIO-「リオの若大将」劇伴/服部克久より

Money/ザ・ゴールデン・カップス

ウォーキング・ザ・ドッグ/The Dynamites


サンシャイン・オブ・ユア・ラブ/ザ・ワイルド・ワンズ


1969年11月22日

東京サンケイ・ホールで行われた

毎年恒例のリサイタル(第3回目)の

模様を収録したライヴ・アルバム


実況録音LP『リサイタル’69』


中でもB面のラストに収録されている

「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」では

本人たちの演奏で

クリーム・ナンバーをジャズ・ロック化

長時間演奏を展開

エンディングに加瀬邦彦の

サイケなギターを

聴けるのが意外


このバンドが

隠していた

爪を

見ることができる



グリーン・オニオン/ズー・ニー・ヴー



1966年10月10日リリースだった

アルバム『ズー・ニー・ヴーの世界・R&Bベスト・ヒット』

から。


サム&デイヴ、オーティス・レディング

ジェームス・ブラウンなどの

ソウルの名曲を中心にカヴァーした

アルバムだが


歌ものの中に一曲だけ

オルガン・インストを入れるセンスは

なかなかモッド。


ブッカー・T&MG.'sが62年に

発表したビルボード。R&Bチャート一位になった

ナンバーのカヴァー



ラブ・ポーション No.9/田辺昭知とザ・スパイダース



元々は1959年の

R&Bグループ

クローバーズが原曲の

『恋の特効薬』ラブ・ポーション No.9


スパイダースがクラウンから

1965年10月に出した


17㎝LP(EP)『ダイナマイト』という

全曲インストカヴァー曲で構成された


コンパクト盤(EP盤という7インチ=17センチレコード

LPと同じ回転数33回転のシングルレコード)に収録


されている

サーチャーズでおなじみの

ナンバー


1964年に

リヴァプール出身のバンド

サーチャーズがリリースして

これは全米第3位を記録した


サーチャーズといえば

第一次ブリティッシュ・インヴェイジョンが

巻き起こった60年台前半から

中盤にかけて活躍したビートバンドで

スキッフルを好んで演奏する

典型的マージビートバンド


ビートルズ同様

R&Bカヴァー曲も

発表しており、

これは

そんな中で

最も有名な楽曲


なお、65年当時の

スパイダーズのメンバーは

ドラムス田辺昭知

リズムギターかまやつひろし

リードギター井上孝之

スチールギター大野克夫

ベース加藤充

ヴォーカル堺正章

ヴォーカル井上順


の既にあのおなじみの

メンバーでありまして


このころは

エレキ・ブーム全盛期で

すでに歌って演奏する

リヴァプール・サウンズの

スタイルを強く

志向していた

彼らは


いまいち乗り気じゃ

なかったというんですが


とんでもない話で

エレキ・インストを

やらせても

傑出した演奏を

聞かせてくれます




YOUNG GUY IN RIO-「リオの若大将」劇伴/服部克久より



1968年の7月封切りだった東宝映画『リオの若大将』


近年、インターネット喫茶

というものが出現して久しいが


複写機が発明された

60年代ではコピー喫茶という

ものがあったらしい


そのコピー喫茶に

若大将加山雄三と田中邦衛演じる青大将

の二人が出向き

ノートをコピーしてもらっている

あいだに流れるBGMがこれである


演奏者不明だが

この直前に加山が

ランチャーズをバックに

オルガンを弾くシーンがあり

その音に酷似している事から


このオルガンも案外

加山が弾いているのかもしれない




Money/ザ・ゴールデン・カップス


大ヒット曲「長い髪の少女」を含む

1968年9月10日リリースだった

『ザ・ゴールデンカップス・アルバム第2集』


このアルバムから

ケネス・伊藤に変わり

ミッキー・吉野が

参加している


当時、洋楽が

チャートの上位を占めていた

「レコードマンスリー」に

POPSチャートで

1位を獲得したのが

このアルバムだった




そのA面4曲目に収録されている


ビートルズ・ナンバーの

カヴァーだが


珍しく

エディがソロをとってる


エディの金属質な声が

このビートルズ・ナンバーに

非常にマッチしている



近田春夫先生もこの業界を

ずっとみてきたけど

一番歌がうまかったのはエディ藩だった

と言ったとか言ってなかったとか



ウォーキング・ザ・ドッグ/The Dynamites




ダイナマイツといえば

瀬川洋(せがわひろし)と

山口富士夫という

二枚看板でデヴューした

玄人向けGSだった


ギターの

山口富士夫は

GSブーム後も伝説のバンド

「村八分」を結成など


昨今まで伝説的

ギタリストとして

不良中高年達の

絶大な支持をウケていた


ヒット曲「トンネル天国」の

アルバムテイク含む

カヴァー曲で構成された

ザ・ダイナマイツ唯一のアルバム

1968年5月リリースだった

『ヤングサウンドR&Bはこれだ!』収録曲


バンドの意志に反した

レコード会社側の意向で

ビージーズやモンキーズの

カヴァーまでやらされた

アルバムだったが


こちらは

正真正銘のR&Bで

ダイナマイツの真骨頂


オリジナルはルーファス・トーマスの

R&Bですが、日本では

ストーンズがカヴァーしたもの

でおなじみのナンバー


この演奏も

ストーンズ版を

ベースにしている

ようです





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ダイナマイト/田辺昭知とザ・スパイダース

ウォーキン・ザ・バルコニー/4・9・1

アガナの乙女/ポニーズ

ピーコック・ベイビー/大原麗子

悲しみのかげに/ザ・スケルトンズ

自由に歩いて愛して/PYG

ジ・アングリー・マン/加山雄三とザ・ランチャーズ



ダイナマイト/田辺昭知とザ・スパイダース




あまりの格好良さにひっくり返りますね


この迫力満点の

荒々しい演奏は


凡百のテケテケ・エレキバンドには

無い魅力があり


スパイダースが

エレキ・インスト・バンドとしても

相当の実力を備えていた事が

わかります。



65年10月に

クラウンから

リリースされた

コンパクト盤に収録されている

インスト・ナンバー


----------------------------------------

1965年の10月に

『ダイナマイト』という全曲インストの楽曲で構成された

コンパクト盤(EP盤という7インチ=17センチレコード

LPと同じ回転数33回転のシングルレコード)に収録されていますね。

----------------------------------------


1965年と言えばまさに

エレキインストの時代という

感じですが


スパイダースは当時

すでに歌って演奏する

リヴァプール・サウンズの

スタイルを志向しておりまして


逆に、大流行している

ヴェンチャーズのような

インスト物は

気乗りがしなかったそうですが


1965といえば、


寺内タケシとブルージーンズを代表とする

エレキ・インスト・バンドの時代というものが

まずあるんですね


GS前夜といった感じでございます





ウォーキン・ザ・バルコニー/4・9・1


後年、何人もの

大物芸能人を

育て上げ辣腕マネージャー

として名を馳せる

上条秀男が1966年に

結成したグループ


4・9・1という

変わったグループ名は

その頃あった

外国映画をヒントに

つけたという


メンバーチェンジが激しく

印象に残りづらかった

グループだが



本作は

後のジョー山中である

城アキラが在籍していた頃

小ヒット作品で


三枚目のシングルのA面


ニュー・リズム「ウォーキン」を

フューチャーして


このころ

上げ潮だったGSブームの

おこぼれに授かってか、

はたまた

単純なわかりやすい

メロディが功を奏したか

マイナー・ヒットに繋がった


ジョー山中が自身の

自叙伝に

「4・9・1にいた頃は

”とにかく叫んでりゃ良い”

と言われてた」


書いているように


曲中のシャウトは

ジョー山中である




アガナの乙女/ポニーズ(1968/12


ロックというよりも

カレッジ・フォーク的な活動を

していた爽やか系GS


新宿のフォーク喫茶

”フォーク・ヴィレッジ”の

社長が


マグマックス・ファイヴ

バインズなど

アチコチのバンドから


メンバーを集めて

1967年10月に作ったグループ


半年以上の

練習をへて

68年8月25日

コロムビアから

「ブルー・エンジェル」でデヴュー


ーーーーーーーーーーーーーーーー

当時、ヤマハホールで開いた

発売記念コンサートには

1500人のファンを動員

優しい、

童謡調のこの曲はオリコンの

65位までいった

ーーーーーーーーーーーーーーーー


68年10月のモンキーズ

日本公演では

フローラル、

ブルー・インパルス

と共に前座に

抜選されるという

栄誉にも浴した


アガナの乙女


1968/12

二枚目『雨ふる街角』のB面


シタールを入れた完成度の高い

ラガーポップに仕上がっており

和製ソフトロックの名作を

数多く手がけている編曲家

東海林(しょうじ)修によるもの


だったが

当時ほとんど評価されなかった。




もっぱら歌のお兄さん的な

親しみやすさで売っていたグループで

存在感はほとんどなかった

ポニーズ




ピーコック・ベイビー/大原麗子


キノコホテルのカヴァーで

知っている若者も多いかもしれません


1964年中頃に「イパネマの娘」

の大流行が日本にも到達すると

数えきれないほど日本産

60年代ブラジル・サウンドが

聴けるようになってくる


1968年にビクターより

リリースされた大原麗子の

素晴らしいボサノヴァ・アレンジ曲

「ピーコックベイビー」


まず、大女優 大原麗子を

歌手として認識している

ひとのほうが少ないんじゃ

ないかということです


2009年

惜しまれつつこの世を去った

その生涯でたった

シングル三枚

アルバム一枚しかリリースしていない


60年代ではこの

シングル「ピーコックベイビー」

一枚しかリリースしてません。


この曲も

よくある

「女優がそそのかされて試しに歌ってみた」

シリーズです。


しかし、ヤル気があるのかないのか

判らない脱力感の漂う

かわいらしい声と

小気味よいリズム

のベストマッチングで

とんでもなく

サイケデリックな

ナンバーに仕上がっている

作曲は小林亜星、ヤッパリ。

なんでしょうね、

朱里エイコの「イエ・イエ」といい、

この時期の

小林亜星先生のキレっぷりときたら

和製クインシージョンズ



ザ・スケルトンズ/悲しみのかげに



スケルトンズは京都出身の

和製ラスカルズを

目指していた

グループ


唯一のシングル

『星の王子さま』のB面から

「悲しみのかげに」

を聴いていただきましたが


米国ブルーアイドソウルの

第一人者ラスカルズの

「Find Somebody」の

日本語カヴァーという


マニアック選曲



自由に歩いて愛して/PYG(1971/11


解散直後のタイガース

テンプターズ

スパイダース

からメンバーを集結させた




井上堯之をリーダとして

スパイダーズから井上たかゆきと大野克夫

テンプターズからショーケンこと萩原健一と 大口広司ひろし

そしてタイガースから沢田研二と岸辺おさみ


という


スーパーグループだったが

短命に終わったPYG


二枚目のシングルで

代表曲とも言える名曲の

ライブバージョン

二枚組ライブアルバム

『フリー・ウィズ・PYG』より

聞いていただきました


GS時代からのファンからも理解されず

また硬派なロック・ファンからは

芸能業界大手である

渡辺プロ所属ということで

体制的商業主義として

その嫌悪感から

猛烈な非難を浴びるという

まさに

波瀾万丈と

暗中模索の連続のなか

ファースト・アルバム

『PYG!』は

オリコンアルバムチャート

10位


そのレベルの高い

演奏能力を理解できる

ミュージシャンの間で

評価されておりましたが


ショーケンの活動が

『太陽にほえろ!』のヒットで

テレビ・映画中心に

変わってきて、


ドラムの大口が脱退すると


次第にバンドは

沢田研二と井上堯之グループ

という形態になり


沢田研二が

本格的にソロ歌手へと

独立すると


残りのメンバーは

井上堯之バンドと移行していく。




ジ・アングリー・マン/加山雄三とザ・ランチャーズ


「ジ・アングリー・マン」

加山雄三とザ・ランチャーズ

洋楽レーベルのCBSコロンビア

から1966年にリリースした

(ちょうど、

東宝映画『エレキの若大将』が

ヒットしていた頃ですね)

アルバム

「恋は紅いバラ--加山雄三アルバム--」に

収録されたオリジナル

のインスト・ナンバー


現在の世間一般のイメージと

違って、60年代の加山雄三

は日本を代表する優れた

コンポーザーであり、演奏家

であった




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# by marquis_de_d | 2024-02-25 21:00 | RADIO R'lyeh
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こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □




ノック・オン・ウッド/ザ・ボルテージ

恋をしようよ踊ろうよ/ザ・プレイボーイ

恋はふりむかない/リンガース

恋のシンガリング/ストーンズ

泣かせるあの娘/尾藤イサオ

愛しのリナ/ザ・タックスマン

おまえに夢中さ/ザ・カーナビーツ



ノック・オン・ウッド/ザ・ボルテージ



R&Bバンドを標榜していた

日本のGSの大半が

実は、ストーンズ、ゼム

といった白人R&Bをカヴァー

していたに過ぎない中で

黒人のソウル音楽しか

レパートリーにしなかった

数少ない本格派が

このバンド


67年3月に結成され

同年夏には黒人兵の

多い沖縄の基地のクラブに

レギュラー出演し

修行を積んだ


デヴュー前に

脱退してしまう

串田アキラ在籍も

このころ



68年8月にリリースされた

アルバム『R&Bビック・ヒット』

に収録されているのがこの曲


65年のエディ・フロイドの

ヒット曲のカヴァー


このアルバムの

レコーディングの

際には


(ソウルミュージック

R&Bミュージックなど

ブラック・ミュージックを

日本に紹介した第一人者)

桜井ユタカ氏



が付きっきりで

アドバイスをしたという

からその気合いの

入り方に

尋常ならざるものを

感じます。



恋をしようよ踊ろうよ/ザ・プレイボーイ


プレイボーイは

平野こうじや、足立ヨシオといった

ロカビリー歌手の前座をやっていた

皆木英利が1966年ごろ

小田原相洋高校時代の

同級生を集めて結成したバンドで


主に平塚市内のディスコで

ビートルズ、

ビーチ・ボーイズ、

さらに皆木のオリジナルを

レパートリーとしていた

グループで


1967年に出た

最初の二枚のシングルは

50年代ロカビリー・スピリットを

無意識に受け継いだような

ピュアなガレージ・ロックだったが




68年には


皆木一人残り大きくメンバーチェンジ


洗練された

ポピュラー・ソングを歌う

グループにガラリと

方向転換してしまう


そんな1968年5月1日にリリースされた

「愛しのアンジェリータ」

のB面がこの

「恋をしようよ踊ろうよ」だった


アングラ時代を反映し

間奏に皆木の声を入れて

テープの逆回転を挿入

(ばかヤローと怒鳴っている)


この後も8月1日

「思い出のカリフォルニア」

11月1日

「湖に眠るマリーの恋」

とシングルを出したものの

いずれも不調に終わってしまった






恋はふりむかない/リンガース(1969/5


唯一のシングルで

和製R&Bの逸品

はりのある歌声に

いい感じのファズギター

が絡み合って気持ちいい曲です


元々は新潟のクラブで活躍していた

ムードコーラスのグループで

「新潟ブルース」

「信濃川慕情」といった

オリジナルが地元では

ヒットしていた。


それが何故か

GSブームに便乗しようと

69年5月にクラウンから

「恋はふりむかない」でデヴュー


ムードコーラス出身とは思えない

ファズを駆使したR&Bだった。


が、ブームはすでに下火であったことに

気がつき、デヴューの4ヶ月後には

元の名前である「山岸秀樹とサムナイツ」

と改名。元のムードコーラスに戻って


「こころがわり」


で再デヴューしたという

冗談みたいなグループですが



恋のシンガリング /ストーンズ(1969/6


良い声ですよね


69年に「寺内タケシとブルージーンズ」に

参加するベーシスト石橋志郎と

ボーカルのルイ高橋らによる

幻のグループ


徳間の倉庫で保管されていた

未発表テープより


この曲は69年春に録音されていながら

発売されず、ブルージーンズで再録され

シングル「太陽に叫ぼう」のB面

「パパンパ・パン・パン」として発売された。




泣かせるあの娘/尾藤イサオ


尾藤イサオとブルーコメッツによる「泣かせるあの娘」

1964年の4月シングル「淋しいだけじゃない」のB面

実はこれが日本で最初のアメリカン・ガレージのカヴァーレコード


GSという一つの形態が浮上する

1966年以前(すなわち、ビートルズ来日以前

はソロ・シンガー+エレキバンドという過渡期形態

ブリティッシュ・ビートのカヴァー盤がよくリリースされていました。

ここで、重要な役割を果たしたのは

尾藤イサオとブルーコメッツ

なわけだが

ミネアポリスのサーフ・ガレージ・バンド

トラッシュメンの”King of the Surf”を日本語カヴァーしたシングルが

既に1964年の4月にリリースされていた事には驚き


最近では尾藤イサオ=あしたのジョー

という印象ですが

60年代中盤におけるロカビリーとGSをつなぐ時期の

再評価されるべき最も重要なロックシンガーの一人であります。



愛しのリナ/ザ・タックスマン(1968.10


京都の五人組

1966年12月に東山学園高等学校の

級友だった上月潤と吉見聖が

中心となって結成したグループ


大ファンであった

ビートルズの曲にちなんで

タックスマンと名付けた


67年から

GS登竜門「ナンバ一番」

に出演。大変な人気を得るようになる


(大阪道頓堀の

橋のたもとにあった

六階建てのレジャービル

大阪音楽の発信基地。いまツタヤになってる

タイガースやオックスもここ出身になります)


夏木マリが熱心なファンだったことでも知られる

ザ・タックスマン、


三枚目のシングル「ヨットと少年」のB面


A面に勝るとも劣らない名曲で

本来、ガレージ・マニアは

ブラスが入ることを

忌み嫌うんですが

この曲だけは許せる

と、GS研究の第一人者

黒沢進先生もおっしゃってます。




おまえに夢中さ/ザ・カーナビーツ



67年9月にリリースされた

2枚目のシングル

「恋をしようよジェニー」のB面

野性的な歌い方と

スクリームで

魅力いっぱい!



後にジャックスもカヴァーした傑作ですが


原曲はなぜか

カナダのマイナーバンド

ザ・グレイト・スコッツが

65年にリリースした

『Give Me Lovin'』のカヴァーで


そんなカナダでも無名のバンドの

この曲をカヴァーしていることは

海外のガレージマニアを

驚かせているようです。



カーナビーツの名付け親であり、

ミュージック・ライフ編集長だった

星加ルミ子のすすめによって


和訳を担当した臼井がエネルギッシュに歌っている



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