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■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百六拾八夜■
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こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □




Gimme Little Sign/ザ・ゴールデン・カップス

孤独の叫び/ザ・テンプターズ

ハロー・アイ・ラブ・ユー(ライブ・ヴァージョン)/オックス

ワンス・アゲイン/ザ・ラヴ

グッバイ・ベイビー/ザ・フェニックス

ナンシー・アイ・ラブ/ザ・ボルテージ

ソーリー・アバウト・ザット/ザ・ボルテージ




Gimme Little Sign/ザ・ゴールデン・カップス


1968年9月10日リリースだった

『ザ・ゴールデンカップス・アルバム第2集』

B面5曲目

ブレントン・ウッドの1966年の

ヒットナンバー

ポップスの名曲

「Gimme Little Sign」のカヴァー

オルガンのソロが印象的なこの曲を

入れているあたり

ミッキー吉野加入を

強くアッピールした

意図を感じる


ゴールデン・カップスの

最初のアルバムは

68年3月にリリースした

カヴァー中心のアルバム

『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』

なわけだが


これ以降、シングルは

「商品」ときっぱり割り切って


音楽的本領は

アルバムで

発揮していくことになる。


68年7月にケネスがビザの関係で

ハワイへ帰国すると

変わってフラワークリエイションの

キーボード奏者

ミッキー・吉野

が加入する


この頃から

彼らの音楽は

それまでのR&Bから

ホワイト・ブルース的なものへと


移り変わっていくのだが


この

『ザ・ゴールデンカップス・アルバム第2集』

1968年9月10日リリースだ


そんな過渡期の

アルバムだった



孤独の叫び/ザ・テンプターズ



1969年4月20日、

東京・新宿厚生年金会館大ホールにて

開催された

テンプターズ・ファン・クラブ例会でのライヴ


このイベントではテンプターズの

ライヴをはさんで

メンバー愛用品のプレゼント・コーナー

ファンからの質問に直接メンバーたちが

答えるQ&Aコーナーなどを

盛り込んだ

テンプターズの親睦会的要素の強いものだった


この様子は

後にリリースされた

テンプターズ唯一の

ライヴアルバム

『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』で

その一部を聴くことができる

劣悪な音質が

妙な臨場感を出している


このライブでは

田中俊夫がオルガンを弾いて

音の巾を広げているが


特にA面6曲目の

アニマルズのカヴァー


孤独の叫び


ではその効果を十分に発揮している


この時ショーケンは

目隠しをして

ステージを這いずり回り

ながら歌う


という演出で


常にファンの熱狂を

煽っていた




ハロー・アイ・ラブ・ユー(ライブ・ヴァージョン)/オックス



オックスというのは

デヴュー前から

失神のみならず


楽器を壊したり

メンバー同士で格闘したりといった


過激なステージ・パフォーマンス

で話題をとっていた


ハロー・アイ・ラブ・ユー(ライブ・ヴァージョン)/オックス


続けてはドアーズの68年夏の

全米ナンバー・ワン・ヒットのカヴァー


時代のオーラのなせる技か

オックスまでもが

サイケデリックしていた




ワンス・アゲイン/ザ・ラヴ


実力派GSアウト・キャストで


ヘヴィなファズが

先導するビート・ナンバー

「レッツゴ・ーオン・ザ・ビーチ」や


数多くのGSのオリジナル曲の

中でも”ガレージ”と呼ぶにふさわしい

「電話でいいから」等の


名曲を作詞作曲しつつ


67年夏、コレからというときに


アウト・キャストを

脱退した藤田浩一が

68年に結成したグループが


ザ・ラヴ



越路吹雪と競作になった

「イカルスの星」で

東芝エキスプレスからデヴュー


この「イカルスの星」の

B面が「ワンス・アゲイン」で

藤田浩一のオリジナルナンバー

ファズをフィーチャーした

ポップ・ナンバーで

一度、フェードアウトして

またインしてくるという

凝ったエンディングが聴きもの


A面の「イカルスの星」も会心の出来で

初期の東芝エキスプレスの

中でも傑出した良い曲だったが


何故かヒットせず

埋もれて島阿多


彼らのパワー・ポップ性

はもっと評価されるべき


なお、藤田浩一は

のちに、トライアングル・プロの

社長として再浮上し

菊池桃子で大ブレイク


80年代のある時期、

すべてのGS出身OBのなかで

もっとも成功を収めていたと

言っても過言ではないだろう





グッバイ・ベイビー/ザ・フェニックス



Good-Bye, Baby/Phoenix


サウンドエフェクトによる

サイケデリック表現といえば

このバンドとこの楽曲を

紹介しないわけに行かない



はじめてワウワウペダルを導入するなど

そのサウンドエフェクトの多様ぶり

には右に出るものがいなかった

バンド、ザ・フェニックス


寺内タケシの事務所から


バニーズの弟分として


テリーズに続き


1967年に結成され

結成直後、油壺で一ヶ月に及ぶ

長期合宿でお得意の

寺内タケシ式スパルタ教育で

鍛えられ、寺内企画、

「1968年の秘密兵器」

というキャッチフレーズで売り出されたものの


大衆にはまだ

サウンドエフェクト過多の

音楽は突飛すぎたのか

いまいち

ヒット要素にかけていた。


そんなフェニックスの


セカンドシングル「グッド・バイ・ベイビー」


はじめて

ワウワウペダルを導入した

ということで


この曲でももちろん

ワウワウを使ってますが、


なんとヴォーカルまでトレモロを

使用した実験作。


ワウ、ファズはもちろん

その他わけのわからないサウンドエフェクトも

随所に挿入した

メンバー自身のオリジナル


ザ・フェニックスは

レコードはシングル二枚で

その後、出ずじまいなものの

横浜、東京のジャズ喫茶を中心に

地道に活動を続け


月に40本という

ライブスケジュールで

ほぼ毎日仕事があり、


実質的には

寺内企画で一番の黒字バンドだった。




ナンシー・アイ・ラブ/ザ・ボルテージ



1968年11月に

ボルテイジの事務所、

富士音楽企画の社長

木村信夫氏がもっと

外国にも

対抗できるような本格的な

R&Bバンドを作ろうとして

見つけてきたのが

ボルテイジというわけだが




ナンシー・アイ・ラブ


2枚目のシングルのB面

青春歌謡なのかR&Bバラード

なのかよくわからない曲で

橘のソロ


オリジナルでは

なぜかオーケストラを

導入した歌謡バラードに

なってしまうザ・ボルテージだが


ステージでの

レパートリーは

もっぱら黒人の

ソウル音楽オンリーで

白いのは一切やらなかった

ボルテイジ


当時のGSは

レコードでこの程度だから

ステージはさぞかし

酷かったろうと、

思われがちだが、

レコードよりも

ステージの方が何倍も

スゴいバンドがたくさんあった


ボルテイジなどはその典型




ソーリー・アバウト・ザット/ザ・ボルテージ



ズーニーヴーと共に

黒人のソウル音楽しか

レパートリーにしなかった事で

知られる本格派のR&Bバンド



本作は68年8月に

発表された


唯一のアルバム


『R&Bビックヒット』収録曲

山下達郎氏も大絶賛しているという。


GSによる

R&Bカヴァーの理想型を

見る事のできるアルバム



ウィルソン・ピケットの

隠れた名作と言われる

サザン・ソウル・バラッド・ナンバーの

カヴァーだが


一箇所だけ

唐突にファズギターが入るので

面食らう




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# by marquis_de_d | 2023-11-05 21:00 | RADIO R'lyeh
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□ 今夜紹介する楽曲 □



進め!ジャガーズの唄(Part.1)/ザ・ジャガーズ

シー・ラヴズ・ユー/キューピッツ

新宿マドモアゼル/チコとビーグルス

月光仮面・川内康範原作、講談社版より・/モップス

ケンタッキーの青い月/ザ・ハプニングス・フォー

モーディー/ザ・テンプターズ





進め!ジャガーズの唄(Part.1)/ザ・ジャガーズ


往年のGSの動く映像を

見られる少ない媒体として

GS映画というものがある

わけだが


映画故に演出された

側面が強く

ライブと違って

本来GSのもっている

ダイナミズムが

失われてしまいがちなものだ


しかし、

映画のメリットは

カラーであるという事


当時のテレビのGS番組の

多くは白黒だったし、

たとえカラー放送だとしても

カラー受像機のある

家は少なかった

GSのアイデンティティとも

いえる華やかな

コスチュームや


高価な楽器類も

カラーで見てこそ

感動させられる

というものである。


さて、聴いていただいたのは

戦後日本喜劇映画ベスト10に

入るであろうと

一部でささやかれている


松竹1968年3月公開の

ジャガーズ初主演映画


「進め!ジャガーズ敵前上陸」の

為に作られたオリジナルで

レコード化はされていない。


元々はスパイダース主演で

企画されていた映画だが

あまりにも多忙だという事で


何故かジャガーズに

回ってきたのが

この『進め!ジャガーズ敵前上陸』


ジャガーズが映画出演したものは

後にも先にもこれ一本で

他にはゲスト出演すらない。

すなわち、ジャガーズ唯一の主演映画




密輸団の一味に

間違えられたメンバーが

暗殺組織に追いかけられる

”サイケデリック・コメディー”


劇中で

「マドモアゼルブルース」

「ダンシングロンリイナイト」

「哀れなジョン」


など、演奏シーンも多いが


とりわけ



ジャガーズのラフな演奏をバックに

中村晃子がキュートに

「虹色の湖」を

歌うシーンは感動もの


この作品に限らず

当時のガール・シンガーの

バックをGSがつとめる

シーンがよく見られるのも

GS映画の楽しみのひとつ





シー・ラヴズ・ユー/ザ・キューピッツ



ザ・キューピッツは

日本テレビの

新人タレント発掘番組

『ホイホイ・ミュージック・スクール』

で見出され、65年

ビクターからビートルズの

カヴァー曲、

日本のビートルズカヴァー史に

おいて最も印象深い

「エイト・ディズ・ア・ウィーク」

「シー・ラブス・ユー」

二枚のシングルを

リリースしている。

このとき若干18歳です。


ビートルズのカヴァー史としては

64年65年において

”尾藤イサオとブルーコメッツ”

”ほりまさゆきとブルー・ジーンズ”

などが重要な役割を

果たしたわけですが


そういった和製ビートルズ

以外による日本語カヴァーで

最も印象的なのは

ザ・キューピッツの

65年8月の

「エイト・ディズ・ア・ウィーク」

同じ年65年12月の

「シー・ラブス・ユー」

であり


フルバンドを

バックにしたものが多い中で

エレキ・コンボの

バッキングが

日本語意訳歌詞の歌唱と

マッチしていて

キュートで

楽しい。


まさに”ビートルズ娘”と

呼ぶのにふさわしい

存在と言えます。




新宿マドモアゼル/チコとビーグルス


新宿マドモアゼル/チコとビーグルス(1969/9)


1968,11

ジェノバと競作の

「帰り道は遠かった」で

デヴューしたチコとビーグルス


黒沢進先生による

GS審議会において

境界線上のGSとして


この辺りが線引きだろう

というポジションの

筆頭に上げられたグループ


なぜこれが

GSに入れられないか

というと、


チコとビーグルスを

GSとしてしまうと

ピンキーとキラーズまで

GSとして認識しなくては

ならなくなって

それだけは避けたかった

ということでしたが


ピンキラは当時

GSと呼ばれる事は無かったが


チコとビーグルスは

たまにGS扱いされていた

ということで

そのあたりが

ピンキラとの違いです



女性ボーカルのチコを中心とする

歌謡グループの三枚目のシングルで

収録されているCDがことごとく

廃盤になっている名コンビ

橋本淳と筒美京平の隠れた名曲。


このカヴァーを

渚ようこさんがステージで

長年レパートリーにしてきた曲で

そのこともあってか

近年では再評価されるようになった

グループということで


まあ、ギリギリ

GSに入れても良いかな

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


月光仮面・川内康範原作、講談社版より・/モップス



月光仮面/モップス


お聴きいただいたのは

1971年7月11日

大阪中之島公会堂で

行われたライブ実況盤

1971年10月5日リリースだったライブLP

『雷舞』よりB面2曲目



「日本最初のサイケデリック・グループ」モップス


ほかのバンドとの

区別化を図るために

サイケデリック・ミュージックを

標榜して登場した日本最初のバンド、

モップスであり

それは

68年の小澤征爾指揮の日本フィルとの共演や

三島由紀夫の芝居『憂国』の音楽担当など

様々な音学的実験の場で

モップスが起用されたことを

みても

モップスが既成のGSと

一線を画しているという

イメージが浸透していたことを

伺うことができ

この作戦は

ある程度の成功を

みたのだと

考えていいだろう


しかし

1969年


日本の音楽シーンには

大きな変動が起きており

67年ごろから始まる

GSブームの斜陽と

フォークブームの到来


そして69年


英米の新しいロック

ジミ・ヘンドリックス

クリーム

といった新しいロックムーブメント

これらをニュー・ロックと呼ぶが

このロックの流れに呼応して

従来のGSとは違った

意識・指向を持った

ニューロックグループが

登場してくる。


これらのニューロック勢は

それまでGSで活動していた連中が

グループ解散して

新たにバンドを結成するパターンが多かった中

有名Gsがそのまま

ニューロック・グループへと転向した例もあり

ゴールデン・カップス

ハプニングス・フォー

フラワーズ

そして

モップスがそれである


69年以降のモップスは

それまで背負っていた

サイケの看板を

払拭するかのように


よりシンプルな

ロック、ブルーズ、R&Bと

言った方向に進んで

ビクターから東芝に移籍。



これぞ和製ハードロック

というおもむきの

シングル曲「御意見無用(いいじゃないか)」

を1971年1月にリリース



意欲的に

ロックンロール・リバイバル的に

とりくんだ曲ですが、


全く理解されず


なにをやっても

受けないステージで

ヤケクソでやった

そんな

『月光仮面』


これが妙に受けて


2ヶ月後の

71年3月に

レコード化する

はめになり

ヤケクソでリリース

したら

ヒョウタンから駒の

オリコン18位


彼らにとって

最大のヒットと

なってしまう。


おなじみの

テレビヒーローの主題歌を

スローブルーズにアレンジした

星勝と鈴木ヒロミツの

コミカルな掛け合いが

楽しめる作品だが


続いて

『森の石松』という作品を

3ヶ月後にリリース

曲の構成も先の「月光仮面」と同じパターンの

コミック路線

(皮肉なことに初のオリジナルになる)

これがモップスを

コミック・バンドとしての

イメージを定着化させてしまう


それが鈴木ヒロミツの役者としての個人活動に方向付け

いつしかロック・バンドとしての

モップスの低迷化を招いてしまうのである


ケンタッキーの青い月/ザ・ハプニングス・フォー


GSブームも

終焉を迎えようという

1970年1月26日

東京ヤングメイツにおいて

モップス

ハプニングス・フォー

ゴールデン・カップス

フラワーズ

の4GS、4大ニューロックによって

最後の悪あがきとも言える

一大ジャムセッションを

執り行ったのであります


この様子は

1970年4月5日リリースだった

『ロックン・ロール・ジャム’70』

においてその記録の一部始終を

聴くことができる


一枚目のA面がモップス

B面がハプフォ

C面がカップス

D面がフラワーズ

という構成になっている


その中でカントリーの名曲

ビル・モンローの「ケンタッキーの青い月」

を披露している

ニューロック調にアレンジした

ということだが

ハプフォーらしい

上品でおしゃれに仕上がってる



モーディー/ザ・テンプターズ



1969年東京新宿厚生年金会館大ホールにて

開催されたテンプターズ・ファンクラブ例会でのライブ


25曲演奏された

このステージは

後にリリースされた

テンプターズ唯一の

ライヴアルバム

『テンプターズ・オン・ステージ』

でその一部を聴くことができる


この曲も『テンプターズ・オン・ステージ』

収録曲で


アニマルズの演奏でも知られる

ジョン・リー・フッカー作の

ブルーズナンバー


ショーケンのブルースハープが

フィーチャーされ

黒っぽい魅力で

男性ファンも多かったテンプターズの

ブルース・バンドとしての

側面が再確認できる演奏





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□ 今夜紹介する楽曲 □




インストゥルメンタル/ヤング&フレッシュ

アイム・ア・ビリーバー/ザ・ヴァン・ドッグズ

ブーケをそえて/ザ・ダーツ

悪魔のベイビー/ザ・クラックナッツ

96粒の涙/ザ・ヴァン・ドッグズ

僕は君と一緒にロックランドにいるのだ/荒木一郎

キャント・バイ・ミー・ラブ/東京ビートルズ




インストゥルメンタル/ヤング&フレッシュ


おなじみ山内賢と和泉雅子主演の

ヤング&フレッシュもの第三弾


1967年5月20日封切りだった

日活映画『夕陽が泣いている』



スパイダースのヒット曲を映画化したものだったが

スパイダースはあくまでゲスト出演


ヤング&フレッシュは

1962年に

日活の若手俳優によって

結成された我が国初の

ベンチャーズスタイルの

バンドで


これは

寺内タケシとブルージーンズよりも

一足早いのである


山内賢

和田浩二

杉山元

木下雅弘

の四人編成のバンドだが

実力的にも

プロのバンドと何ら遜色がない


エレキギターをフィーチャーした

ばんどとしては

日本最初だったかもしれない。


なんせ加山雄三と

ランチャーズもこのバンドに

刺激されて結成されたというのだ




アイム・ア・ビリーバー/ザ・ヴァン・ドッグズ


1967年4月のレコードデヴューを機に

”ザ・ヴァン・ドッグス”とグループ名を

変えた

岡田朝光(ともみつ)とザ・キャラバンが

勁文社に残した音源から


モンキーズのヒット曲(オリジナルはニール・ダイアモンド)

のカヴァー


をヴァンドックスの安定した

演奏でお聴きいただきました


勁文社が67年にリリースした

フォノシート盤の

「ニュー・ポップス・ベスト14」

「グループ・サウンズPLAY10」

などに収録された作品


ヴァンドックスの持つ

安定感というのは


ほかのGSよりも

ひと世代上のメンバーが

多かったということも

一つの要因であると

言える


ジャズ喫茶では

ありきたりの

ポピュラー曲を

そつなく演奏して

聞かせるという

営業乗りのバンドだった




ブーケをそえて/ザ・ダーツ



『帰ってきたヨッパライ』に

続くアングラ・ソングとして

オリコンチャート第二位の

大ヒットをきろくした

『ケメ子の歌』のB面で


マイナー調の

暗めなフォーク・ロック・ナンバー


まあ、ダーツの本領は

アングラソングではなく

こちらだったのだろう。


ケメ子が注目を集めなければ

この路線で行けたかもしれない


ちなみに

このバンドも12弦ギターを愛用していた。


元々、ワイルド・ワンズの

影響でヴォーカルにも手を出すようになった

グループである。





悪魔のベイビー/ザ・クラックナッツ





67年に来日した

デ・スーナーズが

話題を呼んだために

当時日本には20グループ以上の

フィリピン・バンドが

活動していたと

言われています。


ザ・クラックナッツも

そのひとつで

横浜のMUGENなど

ゴーゴー・クラブで

活動していた

寺内企画所属の

フィリピン・バンド。


寺内企画には

「アマゾンズ」なる

女性だけのフィリピン・バンド

も存在していた。


寺内企画所属という

事もあり

67年秋にバニーズが

ヒットさせた

曲をそのままカヴァーさせられ

69年8/25に発売された

唯一のシングルのA面


ファズを使っていない

こと以外に独自性もなく

プロモーションらしいものは

なにもなく、全く世間に

知られずに終わってしまった。


ヴォーカルの

ローランド・メナの

フィリピンなまりの声が

印象的であります



96粒の涙/ザ・ヴァン・ドッグズ


後に

パンクロックの元祖とも称される

ミシガン出身のガレージバンド

?(クエスチョンマーク)&ザ・ミステリアンズ

1966年、瞬く間に全米チャート1位を記録して

年間チャート4位を獲得したナンバー


チープなハモンド・オルガン

による反復が特徴的な

この楽曲は


オルガンをメインに据えた

ヴァンドックスの

サウンドに

ピッタリハマっている


―――――――――――――――――――――

このオルガンを弾いているのが

千葉正建という人で

69年にパンタとともに

「スパルタクス・ブント」

を結成した伝説の人物です

―――――――――――――――――――――


1967年12月にリリースされた

オール・インストのセカンドアルバム

『花のサンフランシスコ<ポピュラー・ヒッツ’67>』

のA面6曲目(ラストに)収録されている曲で

このアルバムを

取り上げた場合特に注目されるのが

この「96粒の涙」で

まずまずの出来栄え


オリジナルより

ファンキーかつ

サイケデリックな

解釈で

ノリのいい

アレンジに仕上がっている


こういうインストものが

レコードにできるように

なったのもGSの功績である

と いえると思います

それまではレコードにして

売れるのは歌謡曲であり

歌手中心、歌手ありきで

あったわけですが

GS時代の到来は

焦点が歌手からバンドにシフトした時代であり

演奏がちゃんと評価される

すなわち、それは

ちゃんと楽曲が評価される

時代になった

スターが売れる、

すたーが金を生むのではなく

作品が金になる、

作品がスターを作るという

時代を作ったわけです





僕は君と一緒にロックランドにいるのだ/荒木一郎



66年の

デヴュー曲「空に星があるように」

(日本レコード大賞新人賞)

「今夜は踊ろう」「愛しのマックス」

などのミリオンセラーヒット曲を連発した

俳優でありシンガーソングライター、


日本の

ロック&ポップスシーンの

草分け的存在


僕は君と一緒にロックランドにいるのだ


もう、常連リスナーの皆様には

よくよくご存知の


ラジオルルイエの

テーマソング的存在で


荒木一郎の異色傑作アルバム

『荒木一郎の世界』(1971/5)から


J・Aシーザーのアイデアで

曲に

アレン・ギンズバーグの詩を

のせた前代未聞の

長篇サイケデリック・ナンバー



頭の中に

すっかり

「僕は君と一緒にロックランドにいるのだ」

ということばが

刷り込まれちゃう

メチャクチャかっこいい

一度聴いたら忘れられない曲。


独特な不安感漂う

4分を過ぎた瞬間から、

残りの2分間陽の光が

厚い雲の隙間から

ズパッと差し込んでくる

そんな空気が漂っています。




キャント・バイ・ミー・ラブ/東京ビートルズ



1964年初頭、

アメリカ上陸を果たし

熱狂的なブームを巻き起こした

ビートルズのレコードが

日本でも発売されると


それまでの習わしどおり

日本のポップス・シンガーも

ビートルズ・ナンバーを

邦訳カヴァー盤で発表したのであった


ビートルズと日本語は

そぐわないという葛藤が

当時のミュージシャンには

あまりなかったのか

その後も

リヴァプール・サウンドの

邦語カヴァーはいくつも出された


なかでも

ビートルズが我が国に紹介された

直後リアルタイムに

ビートルズを日本語で

歌うことに果敢に取り組み

そして敗れ去って行った伝説のバンド

それが

東京ビートルズ


1964年5月に

『抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー』

を出したが見事に失敗


7月に

『キャント・バイミー・ラブ/ツイスト・アンド・シャウト』

を出したがあっさりこけて


もしかしてビートルズは

日本語にのらないのではないか

という杞憂を現実のものにしてみせ


結局シングル二枚で消えて行った


とにかくすごいのは

その歌詞で

「買いたいときにゃ

金だしゃ買える」


という

ここでも漣健児先生の

日本語意訳歌詞全開の

ハチャメチャぶり


このとき以来

ビートルズは

日本語にのらないという

定説ができてしまったというが

本当だろうか?


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東京ビートルズは

二枚のシングルと

ソノ・シートを残している


このソノシートというのが

くせ者で

東京ビートルズが

ビートルズを演奏しているだけなのに

ジャケットには

ビートルズの写真が使われ

グループ名は

”ビートルズ”

とだけ表記されているのだ


このインチキ盤を騙されて

買ってしまった

哀れなビートルズファンは


結構いたようだ。


こんなサギまがいのことが

堂々とまかり通っていた

ということに時代性を感じる


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リボンの娘/スカイ・ホークス

オリエンタル・アイ/三枝伸とデイ&ナイツ

チュー・チュー・ラヴ/ザ・タックスマン

好きよ愛して/渥美マリ

ララの秘密/キングス

Killing Floor/ザ・ゴールデン・カップス

本牧ブルース/平田隆夫とセルスターズ




リボンの娘/スカイ・ホークス


典型的なマイナー調GS歌謡 いちおうファズ付き


1968年5月

コロムビアからリリースした

なんの芸もない

『帰ってきたヨッパライ』のアンサーソング

「天国からのお迎え」でデヴュー

この

「天国からのお迎え」のB面が

お聞きいただいた

「リボンの娘」


しかし

この「天国からのお迎え」は

82位にチャートインしています


その後、1969年には

どういう経緯があったか

不明だが

バンド名を チェック・メイト と変更


ドラムに西島隆一を新メンバーに迎えたところ

これが人気を集めて 文化放送の「GS人気投票」

では16位 一万三千票を獲得


しかし

どんなゴタゴタがあったのか

この年の1969春 突如として解散している



□オリエンタル・アイ/三枝伸とデイ&ナイツ


浜口庫之助に師事していた新進作曲家で

日野てる子の「道」などで知られた

三枝伸がムード歌謡と

ロックの間の溝を埋めるべく

1966年10月に

結成したグループ


GSとムード歌謡の

間の塀の上を歩いていて


ムード歌謡の方に

落ちることが多かった

マージナルなグループ


そもそも

クール・ファイブなどがそうであるように

ムード歌謡のコーラス・グループ

の多くが本来は自ら演奏をこなしているが

デイ&ナイツは


ムード歌謡を志向しつつも

演奏にロック的躍動感を

もたせようというポリシーを

掲げていたことが


革新的だった


自虐的にムード歌謡に

傾倒して行った

一部の末期GSとは

その辺りが一線を画す。



1973年

メンバーチェンジを経て

三枚目の「雲よ、あの子に」

のB面「オリエンタル・アイ」


無垢な、オールディーズ路線だが

オルガンの仄々とした

響きが聴き物




□チュー・チュー・ラヴ/ザ・タックスマン


京都の五人組

1966年12月に東山学園高等学校の

級友だった上月潤と吉見聖が

中心となって結成したグループ


大ファンであった

ビートルズの曲にちなんで

タックスマンと名付けた


67年から

GS登竜門「ナンバ一番」

に出演。大変な人気を得るようになる


(大阪道頓堀の

橋のたもとにあった

六階建てのレジャービル

大阪音楽の発信基地。いまツタヤになってる

タイガースやオックスもここ出身になります)


夏木マリが熱心なファンだったことでも知られる

ザ・タックスマン、


1969年四月四枚目にして

ラスト・シングル

「チュー・チュー・ラヴ」

もはやここにはGSのグルーヴはない


69年といえば

70年の安保を目前にして

ハンセン・変革運動が盛り上がっていて

能天気なGSの雰囲気を

もはや世間が許さなかったのである


B級GSには一気に逆風が

吹き始めて

このタックスマンも

解散している



好きよ愛して/渥美マリ


経営難で経済的に困窮していた

大映のまさに救世主となった

’和製ブリジドバルドー’

大映ハレンチ五人娘 

軟体動物シリーズ

渥美マリ


のセカンドシングル

1970年


この年、渥美マリは三枚のシングルを

出してる。いずれも大映レコードから。


特にファーストシングル『可愛い悪魔』は

日本初のヌードジャケットレコードでもある。


大映映画「でんきくらげ 可愛い悪魔」70年



この頃の大映映画は再起に

ポルノ路線に命をかけていたが

このきっかけともいえる


68年、69年に制作された

十本近くにも及ぶ

エロス+GS映画』という存在を

無視することはできない


エロス+GS映画

においては

ほとんどが

女子高生に扮した大映の

新人女優たちがゴーゴークラブを舞台に

遊びまわるという内容のもだが

その代表作ともいうべき

『ある女子校医の記録・妊娠』(68)

では大映十九期の女優が

総出演しているが

その中で

渥美マリがダントツに可愛い


しかし、最大の

見所は渥美マリらの

女子高生三人組が

踊りに行く渋谷のゴーゴークラブのシーンで


あのカルトGS最高峰

レンジャーズが生バンドで出演し

GS史上最大の快作

『赤く赤くハートが』を演奏する


さらにカーナビーツが

ファズギンギンのサイケデリックナンバー

「吹きすさぶ風」を披露

レコードにはないワイルドな

プレイを聞くことができる



このエロス+GSは

(エロスと言ってもゴーゴーシーンのパンチラ止まりです)


68年『フリーセックス・十代の青い性』

やはりレンジャーズ出演

68年『ある女子校医の記録・初体験』

サイケデリッククラブ「ゼン」を舞台にしている

69年『ある女子校医の記録・失神』

ゴーゴークラブで失神ごっこ!修学旅行から集団蒸発した

女子高生の恐るべき実態という内容で

ラブ、リボーション、ボン・ルーザス

というB級GSが出演


と、無視できない



□ララの秘密/キングス



ダイナマイツ、ボルテイジ

と並んでジャズ喫茶よりも

米軍キャンプで圧倒的な

人気を博していたのが

このバンド


1964年に滋賀・大津で誕生。


京都の有名なクラブ

”ベラミ”で初ステージを

踏んだというから

相当な古株である




1968年10月にリリースだった

三枚目のシングル『ララの秘密』



あの1978年7月11日に山口組組長 田岡一雄が銃撃されたナイトクラブベラミ。

かつて、京都のベラミ に出れるようになれば一流とまで言わせたナイトクラブ


とか言って そう思っていたんだけれども

気になって調べてみたけど、京都には当時、川端三条の「ナイトクラブ・ベラミ」と河原町三条の「ジャズ・ベラミ」という二つあって、襲撃事件があったのが「ナイトクラブ」どうもコレはルルイエでいうところの「ベラミ」は「ジャズ喫茶」のベラミのようです。混同してました。

このキングスは「ナイトクラブ・ベラミで初ステージ」ということなんでコレは間違いなく襲撃事件のあったあのベラミでしょう』


大阪の

サパー・クラブ

”レンガ”


やジャズ喫茶

”ナンバ一番”


で活躍した後

後輩のタイガースの人気に後押しされるように


1967年2月に上京


同年10月、

ムード歌謡的な

『アイ・ラブ・ユー』

でデヴュー


全員ソロが取れるというのが

このグループの強みで


メンバーはそれぞれ


(vo)ボビーはアップ・テンポのロック

(lg)上田耕三はスコット・ウォーカー


(sg)平信史矩(ひらのぶふみのり?)はR&B


(o)西村晃はソフト・ロック


(ドラム)渡辺進と(b)田中淳はビー・ジーズやビートルズ

レパートリーを得意としていたらしい






Killing Floor/ザ・ゴールデン・カップス


1970年1月26日に

東京ヤング・メイツにて

行われた

モップス、カップス、ハプフォ、フラワーズ

4バンドが一堂に会した

ライブを撮った二枚組LP

『ロックンロール・ジャム’70』

一枚目のA面がモップス

B面がハプフォ

C面がカップス

D面がフラワーズ

という構成になっている


ジミ・ヘンドリックスや

エレクトリック・フラッグなども

取り上げていたナンバーで


オリジナルは「スプーンフル」

「ザ・レッドロースター」等で

知られるハウリン・ウルフの作品


なかなか

気持ち良い

ファンクな仕上がりになっている



本牧ブルース /平田隆夫とセルスターズ 1974.8


素晴らしい

歌声を聴かせる

ハーフのシンガー、

セシリアが加入した

後期のセルスターズの貴重音源。


アルバム

『リズム・ブルース・ニッポン』に

収録された

ゴールデン・カップスのカヴァー。





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□ 今夜紹介する楽曲 □



キャント・ターン・ユー・ルーズ/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

ドライヴィング・ブルース/井上宗孝とシャープ・ファイブ

J&A/ザ・クーガーズ

ハンキー・パンキー/ザ・ヴァン・ドッグズ

Don't Bring Me Down/モップス

Boom Boom/鈴木ヒロミツとクニ・河内セッション




キャント・ターン・ユー・ルーズ/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ



1969年8月のリリース

LP『ヤング・ビート・ブルー・コメッツ』

に収録されているもの


69年のブルコメと言えば

シングルでは歌謡曲ばかり

だしていた頃だが


実はブルコメが

洋楽のバンドであったことを

思い出されてくれる

全曲外国曲のカヴァー

アルバムで

最大の聞き物は

三原綱木のソロによる


オーティス・レディング

66年のR&Bナンバー


こちらも当時はやりの

ファン動員の疑似ライブ録音で


いつも「MUGEN」で

毎晩踊っていたという遊び人

三原綱木ならではのノリで

存分にその成果を発揮して

素晴らしい。




ドライヴィング・ブルース/井上宗孝とシャープ・ファイブ(1966.12


二枚目のシングル

「追憶」のB面



1964年5月に解散した

大御所のロカビリーバンド

”ウエスタン・キャラバン”

にいた

井上宗孝、秋山功、古谷紀(おさむ)

の三人に他メンバー二人を加え

シャープホークスに合体したのが

始まりで当初は

”シャープホークスとそのメンバー”

と名のっていた。

その後、

メンバーに二人加わって前田旭


65年3月にはブルー・ファイヤー

にいた天才ギタリスト

三根(みね)信宏

も加わって、

65年6月にフジテレビで

始まる「勝ち抜きエレキ合戦」に

レギュラー出演することが

決定したのをきっかけに

シャープ・ホークス

からバンドを切り離し

ここに

”井上宗孝とシャープ・ファイブ”

が誕生する。


「勝ち抜きエレキ合戦」は

エレキブームを加熱させ

超人気となり、この番組で

毎週模範演奏を披露する

シャープ・ファイブは

当時、ギターキッズの

憧れの的。

エレキ時代の象徴的存在だった。


日本を代表する

エレキ・インスト・バンドとして

65年から66年にかけて

キングからアルバムも

続々リリースしたが


GS時代にさしかかると

のシングルでは

歌ものもやっていた。


そんなわけで

ドライヴィング・ブルース/井上宗孝とシャープ・ファイブ(1966.12


ロックンロールに別名をつけるとするならば

チャックベリーだとジョンレノンがいってますが

当時としては異例の

チャック・ベリー・スタイルの

ロックンロール


メンバー全員で

次々に泥臭いボーカルを

まわしているが


クールな演奏との

ギャップが

後を引く




J&A/ザ・クーガーズ(1968/2


三枚目のシングル「好きなんだ」のB面


カッコイイ

スカスカのガレージ


こういう曲をやれる

ってのが素晴らしい


この60年代ガレージ・バンド特有の

スカスカの音は

いまやろうとしても

再現することはきわめて難しい。


テクテク天国の印象が

強烈すぎるので

逆にこういう名曲は

影が薄くなっている

印象がありますが


実際に1年で4枚のシングルを

だしているもののヒットには繋がらず

この年、1968の夏には解散に追い込まれてます




ハンキー・パンキー/ザ・ヴァン・ドッグズ




「ハンキー・パンキー」


ジェフ・バリー作詞

作曲は奥さんである

エリー・グリーンウィッチ

トミー・ジェイムズ&ジョンデルズの

大ヒット曲でありますが


ザ・ヴァン・ドックスの

サウンドと

フィーリングで

独特な世界観を

演出できている



1959年に結成された

ロカビリーバンド

”ザ・キャラバン”が前身


67年にGS時代に対応

すべくこの名前に変わって


ステージに犬を連れてきて

演奏するという妙な

パフォーマンスで

知られたバンド。

バンドのマスコット

である愛犬の名前が

「VAN」であり

バンドの名前の由来であります。


ステージにはいちいち

この犬を連れてきて

脇につないで演奏していた


思いつけば誰でもできるが

なかなか思いつかないことを

やるのがGSパフォーマンスの

神髄であります



Don't Bring Me Down/モップス


1970年1月26日に

東京ヤング・メイツにて

行われた

モップス、カップス、ハプフォ、フラワーズ

4バンドが一堂に会した

ライブを撮った二枚組LP

『ロックンロール・ジャム’70』

一枚目のA面がモップス

B面がハプフォ

C面がカップス

D面がフラワーズ

という構成になっている


モップスはこのライブで

アニマルズ、リトルリチャード、

トラフィックなどのナンバーを

リラックスしたハードロック演奏で

取り上げている


「Don't Bring Me Down」

ゴフィン&キングの作曲で

1966年アニマルズが

発表して英国チャート6位を記録したナンバー


クールな出だしから始まり

感情をクライマックスで爆発させる

ヒロミツのスタイルにマッチしている


まさにニューロックという呼び名が

ふさわしいダイナミズムが

演奏全体を覆っている




□Boom Boom/鈴木ヒロミツとクニ・河内セッション


1970年1月26日に

東京ヤング・メイツにて

行われた

モップス、カップス、ハプフォ、フラワーズ

4バンドが一堂に会した

ライブを撮った二枚組LP

『ロックンロール・ジャム’70』

一枚目のA面がモップス

B面がハプフォ

C面がカップス

D面がフラワーズ

という構成になっている


聴きどころ満載の

レコードだが


ハプフォが担当するB面の

一曲目に

この盤の白眉といえる


ブルーズマン、ジョン・リー・フッカーの

Boom Boomが入っている


アニマルズの64年発表の

ヴァージョンが有名だが

スパイダースをはじめ

多くのGSにカヴァーされた名曲だ


ここでは鈴木ヒロミツと

クニ河内を中心とした


4バンドのピック・アップ・メンバー

による超豪華セッション

ニューロック・オールスターによる

演奏を聴くことができる。


内田裕也の「リラックスした雰囲気でいこ」

というMCで始まり

肩の力の抜けた

アフターアワーズ・セッションだが


エディ藩、石間秀樹、小林勝彦といった

そうそうたるギタリストの

アドリブ合戦は痺れるものがある




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