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■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第六百七拾四夜■
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こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □



紫のけむり/デ・スーナーズ

ストーン・フリー/ザ・ランチャーズ

Ps-102-2 Discotique - 「無頼・殺せ」/内田裕也とザ・フラワーズ

悪魔がくれた青いバラ/ザ・リード

こころの虹/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス

光ある世界/ザ・タイガース





紫のけむり/デ・スーナーズ


香港のナイトクラブで活動していた

所を加山雄三の妹夫妻の

目にとまり、日本にスカウトされた

フィリピン・バンド


67年に来日し

加山雄三が経営する

茅ヶ崎パシフィック・ホテル

のレストラン「一閣」の

専属バンドとして活動したのち

一旦帰国

68年3月末に

再び来日してからは

都内のジャズ喫茶

ディスコに出演し

その

本場感覚のフィーリングと

テクニックで日本のGSを震撼させた

スーナーズ


もちろん、ジミ・ヘンドリックス

のヒット曲のカヴァーで

LP『リズム・アンド・ブルース天国』に

収録されているもの


特にこのスーナーズは

ヴォーカルのロニーが

ジミ・ヘンに似ていたこともあって?

熱心にカヴァーしていた。


-------------------------------,,,


加山雄三が経営する

茅ヶ崎パシフィック・ホテル

の専属というだけあって


加山雄三の『加山雄三のすべて第三集(ゴーゴー加山雄三)』

でインストナンバー「夜空の星」のバッキングもつとめる


------------------






ストーン・フリー/ザ・ランチャーズ



1968年8月20日

大阪フェスティバル・ホールで

行われた加山雄三公演の

二枚組ライブ・アルバム

『加山雄三オン・ステージ(ランチャーズと共に)』


この中に加山抜きの単独演奏として

「お嫁においで」

「シリウスの涙」

「ストーン・フリー」

の三曲が収録されているが


お聴きいただいたのは


加山雄三ファンがあっけにとられる

ジミヘンのカヴァー

「ストーン・フリー」


ランチャーズの本来のイメージとは

かけ離れたワイルドなプレイで


度肝を抜かれる


曲が終わってから

なんかぽかーんとした

観客からの

思わずこぼれる拍手と言うね…



67年秋に

加山から独立デヴューした

ランチャーズであったが


平行して加山雄三の

バックバンドを続けていた


すでに67年1月の

アルバム『加山雄三のすべて第二集』で

「アイ・フィール・ソー・ファイン」

などリボルバー時代の

ビートルズを思わせるサウンドを

披露していたが


67年12月の

『加山雄三のすべて第三集』

でも

「クール・クール・ナイト」

「ソー・ソー・ファイン」

「ホワイ・ドント・ユー」

「シェイク・シェイク」

といった

中期ビートルズ的な

オリジナルを収録


ランチャーズの

力強いバッキングが

印象的であった



Ps-102-2 Discotique - 「無頼・殺せ」/内田裕也とザ・フラワーズ



日活映画69年の作品。

渡哲也主演映画

人斬り五郎無頼シリーズ三部作の最終作

『無頼・殺せ(ばらせ)』の

ラストシーンですね。


フラワーズがゴーゴークラブで


演奏していた

サイケなインスト曲がこれ。


映画では

この後に

和製ワンダ・ジャクソン

と呼ばれていた麻生レミが

二村貞一(ふたむら ていいち)の「君恋し」を歌うのも

見所なんですが、


スチール・ギターの

小林勝彦など

演奏している

メンバーの姿がアップになるのも

見所



R&B/ロカビリー歌手だった

内田裕也が

67年に三ヶ月にも及ぶ

ヨーロッパ旅行で

海外ロックシーンを

目の当たりにし、日本にも

本格的な


サイケデリック・ミュージックや

R&Bをやるグループを

作るべく

67年11月に

結成したバンド

ザ・フラワーズ


ステージの演出や照明に凝り

音楽各紙はフラワーズの登場を

本格派

サイケデリックグループ

誕生と鳴り物入りで

報じた


もちろん、レコードも

すぐには出さない。

待たせに待たせて

じらしてじらして


そうこうしているうちに


GS時代の波乗りに

やや出遅れた感が

否めなかった。


結成から一年以上おくれて

1969年1月にようやくでた

遅すぎたデヴュー・シングル

「ラスト・チャンス」が

コロンビアから発売するも

極度に歌謡曲化された

メロディー


サイケを期待すると

幻滅させられてしまう。



当時のGSは

レコードでは、

ステージでの熱狂という

ものがわからないわけで


レコードよりも

ステージの方が何倍も

スゴいバンドがたくさん

あったわけですが


当時の姿を知る

手段のひとつとして

流行を切り取って

それらを後世に残しうるメディアが

娯楽映画であり


そこに、動くかられらの

生き生きとした姿を

垣間見ることができるわけです。



悪魔がくれた青いバラ/ザ・リード


GSとしてデビューすることになった

在日アメリカ人バンド

1968年10月に

発足したばかりのRCAビクターから

第一回新譜として

和田アキ子

ブルー・インパルスら

とともに売り出された

その時のデヴュー・シングルが


1968年10月25日リリースだった

「悪魔がくれた青いバラ」

だった


「誓いのフーガ」や

「サウンド・オブ・サイレス」路線を

狙ったソフト・ロックであったが


地味すぎたのか

不発に終わった。


もっぱら、メンバーの

日系人アーダクル・タミヤ


の美少年ぶりが売り物

というだけで


結局、彼らは

たんに外国人の

グループというだけであって


スーナーズのような

衝撃を日本に与えることは

なかったのである。


このバンドが

残して行った唯一の財産は

リード・ギターの

マーク・エルダーが

チョーキング奏法を

日本のGSに教えたことと言って良い


ザ・リードは

赤坂のクラブ「チータ」の

ハウス・バンドとして

活動しており


そこには

マークのブルース・ギターを

盗み見するために

日本のGS連中が

毎晩のようにやってきていた

というのである。


それまで、

日本のバンドは

チョーキングを知らなかったのである





□こころの虹/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ


1968年1月25日リリースの11枚目のシングル

『こころの虹』のA面


元々は伊東ゆかり用に

井上忠夫が

書き下ろした曲だったが

自分たちで歌う羽目になった


当時大ヒットしていた

ロス・プリモスの

「ラブ・ユー・東京」を

多分に意識した楽曲




長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス

長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス


1968.4.1『長い髪の少女』


68年GSブームは最高潮を迎え

カップスも

売れせん狙いのマイナー歌謡

『長い髪の少女』

極めて営利色の強いナンバーだが

目論見通り大ヒット

オリコン14位、35万枚をセールス

を記録


マモル・マヌーにソロをとらせる

パートを設け

これでゴールデン・カップスも

一躍、人気アイドル・グループに

躍り出ることになるわけですが


以後、カップスは

シングルは商品と割り切り

音楽的本領は

アルバムで

発揮していく事になる




光ある世界/ザ・タイガース


1968年9月25日リリース(wikiでは10月1日)

タイガース七枚目のシングル

『廃墟の鳩』(オリコン3位)

のB面「光ある世界」


このシングルのA面、B面とも

三枚目のアルバム『『ヒューマン・ルネッサンス』

に収録された


ーーーーーーーーーーーーーー

このアルバムは、

「ポンペイ最後の日」

からモチーフを得た

コンセプト・アルバムで

GSと管弦楽の融合という

すぎやまこういちらの

意図が一応の成功を

見たアルバム

GS=不良=低い音楽性

という世評に反発するかのように

大げさなほどの

格調の高さと芸術性を

打ち出している

全体的にオーケストラを

導入したクラシック・ロックの

おもむきが強く

まるでオペラのような

アルバム

ーーーーーーーーーーーーーー


作詞:なかにし礼

作曲:すぎやまこういち

編曲:すぎやまこういち


40人の管弦オーケストラをバックに

沢田研二がソロをとる

神秘的な雰囲気が漂い

楽曲としての

完成度も高い


東宝映画

『ザ・タイガース華やかなる招待』

の劇中

ジュリーと久美かおりが幻想デートする

シーンで使用されている



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□ 今夜紹介する楽曲 □




スナッキーで踊ろう/海道はじめ

青いジャングル/荒木一郎

白鳥の涙/ザ・ターマイツ

恋のサイケデリック/ザ・デビィーズ

君なき世界/ザ・ビーバーズ

エピタフ/ザ・ピーナッツ





スナッキーで踊ろう/海道はじめ



スナッキーで踊ろう2:38海道はじめ1968


元々は

大御所 船村徹 先生の弟子で

民謡歌手であった

海道はじめの

デヴューシングル

だが

本人は

譜面を見て演歌とは

程遠い歌に面食らったという




スナッキーとは

プリマハムのレトルトウィンナーで


当時商品名が入った曲は

PR盤といって

関係者などに配布されるもので

テレビなどでオンエアすることができなかった


そこで

コロムビアとタイアップするにあたって


「スナッキー」なるニューリズムが

海外で流行しているという

話をでっち上げて

(レコードにはご丁寧にステップまで紹介されている)


本盤としてリリースし、


こいつが全国に

浸透した二ヶ月後に

商品を販売しよう


という

とんでも戦略が取られた


(いわばメディアミックス戦略の先駆け)


ジャケットの

海道はじめがなぜか

首に絞めた

ネクタイを右手に持って


妙なアピールを

していることが

非常に

気になっていたのだが


このネクタイの柄が

商品パッケージになる予定だった

という


サブリミナル効果的

印象刷り込みまで

行なっている

から驚きだ

(海道はじめ氏も知らなかったらしい)


もちろん

こんなものは

売れるわけもなく、


曲も、商品も

セールス的には不発


そのまま

人々の記憶から

静かに消えて行ったかに

見えたこの曲ですが


90年代以降に

コサキンのラジオで

紹介されてから


幻の名盤解放同盟の

尽力によりCD化されて

広く知られる曲となった。



出だしの

異常なほど深いエコーは

舌を口の中で

動かすことによって

聞こえるという

技巧を使っているという

超絶高速舌回転唱法



バックコーラスの

スナッキーガールについてですが



小山るみ(さすらいのギター)

女優吉沢京子(あのど根性がえるの京子ちゃんのモデルでもある)


そして、(ここが重要だが)

今まで、

風吹ジュン、

さんと紹介していたが


この1968年の春

この時期にはまだ

風吹ジュンさんは

15歳中学三年生で

京都市内に住んでおり

モデルの仕事なんて

していない


実際は別人で

羽田幸得子(ハタ サエコ)さん


であって、


どうも

ラジオなどで再発掘された折に

「風吹ジュンがいた」

などという話が

どこで間違ったか発表されて

しまって、それが

拡散してしまったというのが

真相らしい。


現在でも海道はじめは

坂越達明として民謡歌手として



そして、とろろ汁の店『丸子亭』を経営


中野ブロードウェイ二階と静岡は清水駅付近にある

らしいですけど

また、舞台芸術なんかも手掛けてるらしい

活躍中




青いジャングル/荒木一郎

(ビートルズへのオマージュソング)


荒木一郎

毎回、リスナーから

非常に良い反応をもらって

おりますが


やはり

荒木一郎先生

日本のロック&ポップスシーンの草分け的存在



66年のデヴュー曲「空に星があるように」(日本レコード大賞新人賞)

「今夜は踊ろう」「愛しのマックス」などのミリオンセラーヒット曲を連発した



俳優であり

シンガーソングライター

、歌手であり

音楽プロデューサー、

小説家、

カードマジック研究家、

マジック評論家

といういくつもの顔を持つ


荒木一郎の

1971/5リリースの

異色傑作アルバム

『荒木一郎の世界』から




青いジャングル


ビートルズへのオマージュ

であることを包括した、

クールなアートロック。




白鳥の涙/ザ・ターマイツ


もっぱら民音系の

公演を中心に

活動して


ギャラは悪くなかったが

宗教上のアレルギーが

強く解散してしまった

ザ・ターマイツ


1968年8月にリリースした

シングル『お友達いつまでも』

一枚しか残していなかった

ターマイツだが、

クラウンの倉庫から

発掘されたこの未発表曲が

2001年にCD化され

まるで語られることのなかった

GSに評価を与えた




恋のサイケデリック2:37ザ・デビィーズ1968


デビィー中野という

黒人音楽好きの人物がマネージャーになって

67年6月に結成された

北海道のGS

ミノルフォンから

ムードコーラス調の

デヴューシングル「青いささやき」のB面。

「トワイライトゾーン」を

イントロにつかった

チープなサイケデリック・ソング


ラ・シャロレーズもそうですが、

A面とB面のふり幅が大きい。

A面ムード歌謡B面ガレージというね、

ムードとガレージが

同居するのは

北海道GSの特徴

といえます。

北海道のGSは

ムードコーラス感の強い

イメージでしたが

68年という時代に感化され

サイケデリックサウンドに挑戦し始める。


二枚のシングルを出していますが

まあ、いずれもヒットとは無縁だった

その後、レコードを

出す事は無かったようですが

実力派R&Bグループとして

しばらくは札幌で

活動を続けていたようです


この曲から題名が

つけられた

鈴木いずみの小説

「恋のサイケデリック」は

GSファンには大変興味深い内容。



君なき世界/ザ・ビーバーズ




日本で最初の

ツイン・リード・ギターを

完成させたGS。

専門家筋からは非常に

評価の高かった実力派グループ。


1967年11月のシングル『君なき世界』

のA面



この曲も作詞作曲者は

ムッシュかまやつひろし で

やはりクレジットには

醐樹弦(ごきげん?)名義です




インドの音階を駆使した

ラーガ・サウンドを取り入れた

アメリカのローカル・サイケを聴いているような

メランコリックサイケデリックナンバー


ギタリスト石間秀樹

といえば

ラーガ奏法の日本における

第一人者。

69年ビーバーズ解散後は

内田裕也に誘われて

フラワーズで

リード・ギタートして参加して

その後もフラワー・トラベリン・バンドで

アルバムをほぼ全曲の作曲を担当するなど

絶大な影響力をもった人です。






エピタフ/ザ・ピーナッツ



1972年8月17新宿厚生年金ホール

そして8月19日文京公会堂での

民音ステージにおけるライヴを

記録した、


ザ・ピーナッツの

数少ないライヴLP

『ザ・ピーナッツ・オン・ステージ』


全編

編曲は当然

ピーナッツ生みの親

宮川泰先生であり。


出だしから


ユーライア・ヒープの「対自核」

キャロル・キングの「イッツ・トゥ・レイト」

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(C.C.R.)の「プラウド・メアリー」

キャンディーズもライヴではレパートリーにしていた


と立て続けに洋楽ヒットナンバーを披露


ライヴの頭に

ユーライア・ヒープの「対自核」

という選曲に

観客も

度肝を抜かれたであろう


私も度肝を抜かれた


そんな中でも全ての音楽ファンを

驚かせたのは


何と言っても

キング・クリムゾンの名曲

「エピタフ」のカヴァーだった


内容の完成度もさることならが


これを我が国至宝と言える

歌唱を誇る

ザ・ピーナッツに歌わせる

というムーブメントに

心が震える。


1972年当時いかに

ニューロック、

プログレッシヴロック、

ハードロック


というジャンルが

日本人を魅了し

それを貪欲に吸収し

ていたことを


我々は理解しなければならない。





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□ 今夜紹介する楽曲 □



タイム・イズ・オン・マイ・サイド/ザ・タイガース

傷だらけのアイドル [Live]/ザ・タイガース

ふたりのシーズン/ブルー・シャルム

夢でもいいさ/The Dynamites

英雄 <オルターネイト・ヴァージョン>/ザ・ユニコンズ

バイバイ・シティ/加橋かつみ

落葉の物語/ザ・タイガース




タイム・イズ・オン・マイ・サイド/ザ・タイガース

□傷だらけのアイドル [Live]/ザ・タイガース


1967年の8月22日

東京・大手町サンケイ・ホールで

開催されたタイガース初のリサイタル

「ザ・タイガース・ア・ゴーゴー」の模様を

収録した

デヴューアルバムにしてライブ盤という

「ザ・タイガース・オン・ステージ」から


彼らの十八番とも言える

ストーンズ・ナンバー



日本における

ローリング・ストーンズの

シングルの売り上げで

いまだにトップの

記録を破られていないのが

68年2月にリリースされた

「テルミー」c/w

「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」

の日本編集カップリング・シングルで

およそ30万枚の

セールスを記録


当時の洋楽シングルとしては

驚異的な売り上げを示したのも

このカップリングが編成されたのも


元を正せば

両曲ともタイガースの

人気ステージ・レパートリーだったからだ


(当時まだオックスは

レコードデヴュー前)


GSは当時の

洋楽ポップスの

強力な宣伝媒体として

機能していたのである


ーーーーーーーーーーーーー

同様に本国では

シングル「マサチューセッツ」の

B面でしかない

「ホリディ」が日本では異様に人気が

高いのもタイガースの

人気レパートリーだった

ことが多いに関係している

ーーーーーーーーーーーーー



□傷だらけのアイドル [Live]/ザ・タイガース


傷だらけのアイドルFREE ME


日本人アーティスト初の単独スタジアム・コンサートとなった

後楽園球場「ザ・タイガース・ショー」(1968年8月12日)

でのライヴ音源。オリジナルは元マンフレッド・マン

のポール・ジョーンズが1967年12月に

発表した彼の主演映画『傷だらけのアイドル(原題 Privilege)』

の主題歌


マイクのコードを鎖のように

手首に巻き付けながら熱唱する

ジュリーの圧倒的なパフォーマンスが

ファンを熱狂の渦に引き摺り込んだ

人気レパートリー




ふたりのシーズン/ブルー・シャルム


作曲家、馬飼野康二(マカイノコウジ)

が在籍していたことで

知られるグループ



1968年結成

六本木のクラブで

演奏していたところを

西郷輝彦に

見出され


CBS・ソニーと契約

69年1月に

「抱きしめたくて」

でデヴューした


お聞きいただいたのは

1969年8月立て続けに

二枚リリースした分の

三枚目のシングルのA面


「ふたりのシーズン」

Zombies解散後の

まさかの大ヒット曲

" Time of The Season "

のカヴァー


馬飼野康二(マカイノコウジ)

のハモンド・オルガンが聞ける



当初は

「ムード歌謡のヤンググループ」

というキャッチフレーズで

全くのムードコーラス

グループとして

売り出されたものだった。


しかし、

その後は本来の路線に

転じ、69年に出した

シングルのA面は

いずれもGS調のものだった


メンバー・チェンジを

重ねながら

GSブームが去った70年代

に入ってからも

しばらく活動を続けたグループ



夢でもいいさ/The Dynamites


1965年5月リリースだった

五枚目のシングル

『バラと悪魔』の

B面が

「夢でもいいさ」


オーケストラを配した

少し

ブルーシャトウに似ている

マイナー調の典型的

GS歌謡


ブックレットによれば

瀬川洋以外のメンバーは

不参加だったという


この五枚目のシングルが

ラスト・シングルになった



英雄 <オルターネイト・ヴァージョン>/ザ・ユニコンズ



謎の覆面グループ、ユニコンズが

1968年5月にリリースした

二枚のシングルは

GSオムニバスCD

『カルトGSコンプリートシングルス』で

初CD化を果たしたが

この時

ユニコンズが残した4曲の

マスターテープの中で

どういうわけか

「英雄」だけが

実際に発売されたシングルとは

異なるテイクであることが判明し、


『カルトGSコンプリートシングルス』には

レコード盤からの板起こしして

シングル・テイクが収録された


今夜聞いていただいたのは

その

テイチクに残された

マスターテープからのもので

エンディングのドラミングや

ファズギターのフレーズなどに

違いが見られる




バイバイ・シティ/加橋かつみ





バイバイ・シティ


タイガース脱退後の

加橋かつみが

渡仏して作った

ファーストアルバム

「パリ1969」収録曲。

このアルバムは

シングルになった

『花の世界』をはじめ

アーティスティックな

作品として評価が高い



歌詞カードと

アルバムに

表記されているタイトルが

微妙に異なる点が気になる


オリコンLPチャート15位

ランクイン中売り上げは

25000枚を記録



□落葉の物語/ザ・タイガース


「モナリザに微笑」に続く格調高い

タイガース・クラシカル路線の第二弾


「君だけに愛を」と同日にレコーディングされたB面曲ながら

彼らが出演した明治製菓の

チョコレートのCMソングにサビ部分が使われた

こともあってファンの間では結構人気がある名曲。


1960年代後半のGSブーム当時の

テレビのCMとGSといえば

真っ先に明治製菓の

チョコレートCMに出ていたタイガースなのだ


明治製菓の社史『明治製菓の歩み~買う気でつくって60年 1916-1976』

によれば


「1967年(昭和42年)12月1日タイガースCMに初登場」


と記されている。すなわちCMがオンエア開始された

12月はじめのころは『モナリザの微笑』がヒットしていた

時期ということになる。


メンバーが

エイトビートにアレンジした

ちょっこれいとちょっこれいと

チョコレイトは明治

と歌い出す


明治は1968年には「チョコで選ぼうGS日本一」なる

イベントを展開。チョコの包み紙の裏にグループ名を

書いて投票するという企画で、

CMを努めたタイガースは当然の一位

テンプターズは2位

ちなみにブルコメは21位


こののち2位のテンプターズは

森永製菓のCMに出ることになる。

銀座のシンボルだった

森永のネオン塔の上で撮影した



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□ 今夜紹介する楽曲 □



悲しき片思い/ザ・リード

夢でもいいさ/The Dynamites

好きよ愛して/渥美マリ

男と女のロック/和田アキ子

Last Tatoo/鏑木創

孤独の叫び/ザ・テンプターズ

500マイル/ザ・スパイダース





悲しき片思い/ザ・リード



日本のバンドの連中に

ブルースのチョーキング奏法を

教えるという

貴重な遺産を残していった

在日米国人グループ




1968年10月25日リリースだった

リードのファースト・アルバム

『ザ・リード・ゴーズR&B』

収録曲


”ロックン・ロール・リバイバル”

という当時の風潮に便乗し、

オールディーズのR&B的解釈を

試みたアルバムであったが


実際にはR&Bというより

ブルース・ロック

といったほうが近い

仕上がりだった。



1962年

ヘレン・シャピロの

楽曲の中でもっとも日本人に馴染みの深い

悲しき片思い

しっとりとした

歌声に

ひたれたんじゃないかな




GSとしてデビューすることになった

在日アメリカ人バンド

1968年10月に

発足したばかりのRCAビクターから

第一回新譜として

和田アキ子

ブルー・インパルスら

とともに売り出された

その時のデヴュー・シングルが


1968年10月25日リリースだった

「悪魔がくれた青いバラ」

だった


「誓いのフーガ」や

「サウンド・オブ・サイレス」路線を

狙ったソフト・ロックであったが


地味すぎたのか

不発に終わった。


もっぱら、メンバーの

日系人アーダクル・タミヤ


の美少年ぶりが売り物

というだけで


結局、彼らは

たんに外国人の

グループというだけであって


スーナーズのような

衝撃を日本に与えることは

なかったのである。


夢でもいいさ/The Dynamites


1965年5月リリースだった

五枚目のシングル

『バラと悪魔』の

B面が

「夢でもいいさ」


オーケストラを配した

少し

ブルーシャトウに似ている

マイナー調の典型的

GS歌謡


ブックレットによれば

瀬川洋以外のメンバーは

不参加だったという


この五枚目のシングルが

ラスト・シングルになった



好きよ愛して/渥美マリ


経営難で経済的に困窮していた

大映のまさに救世主となった

’和製ブリジドバルドー’

大映ハレンチ五人娘 

軟体動物シリーズ

渥美マリ


のセカンドシングル

1970年


この年、渥美マリは三枚のシングルを

出してる。いずれも大映レコードから。


特にファーストシングル『可愛い悪魔』は

日本初のヌードジャケットレコードでもある。


大映映画「でんきくらげ 可愛い悪魔」70年



この頃の大映映画は再起に

ポルノ路線に命をかけていたが

このきっかけともいえる


68年、69年に制作された

十本近くにも及ぶ

エロス+GS映画』という存在を

無視することはできない


エロス+GS映画

においては

ほとんどが

女子高生に扮した大映の

新人女優たちがゴーゴークラブを舞台に

遊びまわるという内容のもだが

その代表作ともいうべき

『ある女子校医の記録・妊娠』(68)

では大映十九期の女優が

総出演しているが

その中で

渥美マリがダントツに可愛い


しかし、最大の

見所は渥美マリらの

女子高生三人組が

踊りに行く渋谷のゴーゴークラブのシーンで


あのカルトGS最高峰

レンジャーズが生バンドで出演し

GS史上最大の快作

『赤く赤くハートが』を演奏する


さらにカーナビーツが

ファズギンギンのサイケデリックナンバー

「吹きすさぶ風」を披露

レコードにはないワイルドな

プレイを聞くことができる



このエロス+GSは

(エロスと言ってもゴーゴーシーンのパンチラ止まりです)


68年『フリーセックス・十代の青い性』

やはりレンジャーズ出演

68年『ある女子校医の記録・初体験』

サイケデリッククラブ「ゼン」を舞台にしている

69年『ある女子校医の記録・失神』

ゴーゴークラブで失神ごっこ!修学旅行から集団蒸発した

女子高生の恐るべき実態という内容で

ラブ、リボーション、ボン・ルーザス

というB級GSが出演


と、無視できない




男と女のロック/和田アキ子


和田アキ子を売り出すために作られた

1970年5月2日封切りの

日活の野良猫ロック シリーズ堂々の一作目

『女番長野良猫ロック』

のテーマ・ソング

「男と女のロック」


もちろん和田アキ子初主演映画で

デニムの上下に

単車でぶっ飛ばしてくる

アコ姉さんが

ナナハンベイベ

で最高にクール


お聴きいただいたのは

レコード・ヴァージョンで

1970年7月5日リリースだった

「さすらいのブルース」のB面で

ソウルフルに歌い上げている


映画で使用された

モノの方が

ややテンポが速く

ホーンを前に出した

編曲だった


Last Tatoo/鏑木創


1970年10月14日公開の日活映画

「ネオン警察」シリーズ第一弾

小林旭、夏純子主演

『ネオン警察 ジャックの刺青』


「女の警察」シリーズの続編となる

「ネオン警察」シリーズの第1作

暴力団同士の縄張り争いに介入し、

勝ち目のない方の組を盛り返して

荒稼ぎする小林旭扮する

通称「ジャックの刺青」こと

花村勇治


この「ネオン警察」が

小林旭の日活での

最後のシリーズになる


軽快なアップテンポのジャズピアノに

出ずっぱりのファズギターが

アッシドに鳴り響く


まとわりついて

くるようなファズがネオン管の

電気的ノイズを連想させられる




この映画音楽を担当するのが


鏑木創(かぶらぎはじめ)


1950年代から1990年代にかけて

アクション、スリラー、喜劇、ポルノといった

大衆的な娯楽映画、二時間ドラマのサスペンスもの

など数多くの楽曲を提供した


1961年石原裕次郎、牧村旬子のデュエット曲

「銀座の恋の物語」通称「銀恋」


大映の『兵隊やくざ』シリーズ


テレビ朝日系列二時間ドラマ

「土曜ワイド劇場」の名シリーズ

『江戸川乱歩の美女シリーズ』

歴代のテーマ


そして松竹

必殺シリーズ

1973年 必殺仕掛人 緒形拳の藤枝梅安シリーズ

梅安蟻地獄 春節仕掛針





孤独の叫び/ザ・テンプターズ



1969年4月20日、

東京・新宿厚生年金会館大ホールにて

開催された

テンプターズ・ファン・クラブ例会でのライヴ


このイベントではテンプターズの

ライヴをはさんで

メンバー愛用品のプレゼント・コーナー

ファンからの質問に直接メンバーたちが

答えるQ&Aコーナーなどを

盛り込んだ

テンプターズの親睦会的要素の強いものだった


この様子は

後にリリースされた

テンプターズ唯一の

ライヴアルバム

『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』で

その一部を聴くことができる

劣悪な音質が

妙な臨場感を出している


このライブでは

田中俊夫がオルガンを弾いて

音の巾を広げているが


特にA面6曲目の

アニマルズのカヴァー


孤独の叫び


ではその効果を十分に発揮している


この時ショーケンは

目隠しをして

ステージを這いずり回り

ながら歌う


という演出で


常にファンの熱狂を

煽っていた





500マイル/ザ・スパイダース


1966年5月20日リリースだった

スパイダース2枚目のアルバム

「ザ・スパイダース・アルバムNo.2」

B面4曲目に収録




前作の

全曲オリジナル曲で構成した

「ザ・スパイダース・アルバムNo.1」

とは一転して

これは全曲カヴァーで構成された

セカンド・アルバムで

ほとんどは

いわゆるリヴァプール・サウンドの

ナンバーだった


この500マイルは


女性フォークの草分け的存在

ヘディ・ウエストのナンバーで


日本では

1962年

反戦フォークの

ピーター・ポール&マリーが

歌って

ヒットした


この曲のルーツは

アメリカ民謡の『900Miles』と言う曲で

ウディ・ガスリーが

レパートリーにしていたナンバーだが


この頃、ピーター・ポール&マリーは

民謡をベースにした

曲を必ずレパートリに入れて

いたが



これに影響を受け

当時の日本の

フォークも


盛んにレパートリーに

日本民謡を取り上げていた




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□ 今夜紹介する楽曲 □



ワンモア・キッス!/ザ・スピリッツ

気ままなシェリー/アウト・キャスト

熱くなれない/ザ・モップス

ギリシャの丘/アダムス

人間主体の経営と工事/クニ河内とかれのともだち

オブラディ・オブラダ/ザ・カーナビーツ




ワンモア・キッス/ザ・スピリッツ




川崎のバンドで

1965年頃から市内の

ダンス・ホールなどで

活動していた。


66年2月

フジテレビの

勝ち抜きエレキ番組で

何のひねりもないタイトルなんですが

『勝ち抜きエレキ合戦』の

北海道大会で

ボーカル部門で優勝


メンバー・チェンジをへて

68年5月

キング・セブンシーズから

『人魚の涙』でデヴュー


御聴きいただいたのは

デヴューシングル

『人魚の涙』のB面

「ワン・モワ・キッス!」


ビートルズの「Tax・Man」

を思わせるベースを

フィーチャーした

カッコいい曲だが


サビは青春歌謡風という

ざんねんなナンバー


とにかく印象の薄い

バンドで、


結局、セールス的には

うまくいかずに

二枚目のシングルは

出ずじまいで


68年暮れに

メンバー5人中3人がいれかわる

という情報が

雑誌に載ったのを最期に

音信がなくなったバンド



気ままなシェリー/アウト・キャスト



後の大物業界人を

多数排出した渡辺プロのGS


エレキ・バンド”ブルー・エース”の

水谷淳(作曲家:水谷公生きみお)

が中心になり

66年春に結成された

実力派集団アウト・キャスト


67年1月にでた

デヴュー・シングルのB面。


キャンディーズの

『春一番』の生みの親

穂口雄右(ほぐちゆうすけ)の弾く

当時、日本に二台しかないと

いわれたドイツのホーナー社製の

エレクトリック・ピアノ

が聴ける心地よいキュートで

小気味良いポップ・ソング






熱くなれない/ザ・モップス


1968/8





ほかのバンドとの

区別化を図るために

サイケデリック・ミュージックを

標榜して登場した日本最初のバンド、

モップスの三枚目のシングル

『おまえのすべてを』のB面


村井邦彦の作曲、星勝を中心とした

バンド自身のアレンジで

GS・アッシド・ロックの

傑作といえる仕上がり


この三枚目のシングルまでは

ファズギターを駆使した

サイケデリック路線が

続いた


しかし


69年に入る頃には

それまでのイメージを払拭




よりシンプルな

ロック、ブルーズ、R&Bと

言った方向に転じることになる。


69年末には東芝に移籍

してますが

意欲的に挑んだ

ロックンロール・リバイバル

的な音楽は全く理解されなかった


海外のガレージ・マニアが

評価しているモップスは

このビクター時代だけ





ギリシャの丘/アダムス


実力派GS、アウト・キャストを

脱退した水谷公正と轟健二を

中心に68'年春に結成された

グループ。


68年6月16日

池袋のジャズ喫茶「ドラム」で

初ステージを踏み、同年9月5日

大編成のオーケストラとの

合同演奏による「旧約聖書」で

レコード・デヴュー


大編成のオーケストラという

大げさな構成の割りに

オリコン・チャートは

63位にとどまった。


そんなわけで

ただ今聴いていただいたのが

くだんの

1968年9月5日リリース

デヴューシングル

『旧約聖書』の

B面の古代ギリシャのアテネの涼風を歌う『ギリシャの丘』でした


(GSにはよくある古代ギリシャを題材にした作品)


新会社CBSソニーの

GS第一号として社運をかけて

渡辺プロダクションが

第二のタイガースとして

大々的に売り出そうとした


アイドル性重視のバンドだったが

テクニックも兼ね備えていて


ステージでのレパートリーは

もっぱらニュー・ロックや

ストーンズ・ナンバーだった


実際に70年代にはスタジオ・プレイヤーとして

ナンバーワンになった水谷公正や

千原秀明といった腕利きスタジオ・ミュージシャンを

輩出する事になるアダムス



合計四枚のシングルを残しているが

もはやGSの枠で活動する事に限界があり

69年暮れに解散してしまった。



人間主体の経営と工事/クニ河内とかれのともだち1970.12


キングレコードでは

布施明の大ヒット

「そっとおやすみ」の

作者としても知られる

ザ・ハプニングス・フォーの

クニ河内が

フラワートラベリンバンドの

ジョー山中と石間秀樹と作った

日本のロック黎明期の名盤

アルバム『切狂言』の収録曲


『切狂言』というアルバムは

はっぴいえんどの『風街ろまん』

と同時期に作られた

最も早い全編日本語の

ニュー・ロックLPとして

知られる入手困難盤で


この曲は71年に

フラワートラベリンバンドが

再録音し

「MAP」という

タイトルで米国の

ジョー・ママとの

スプリットシングル

として

アトランティック/ワーナー

よりリリースされた


この『切狂言』から36年経過した

2006年『切狂言2』ともいえる

続編、『Mr.Rallystupid philosopher(頓間な哲学者)

を当時と同じ顔合わせである

クニ河内とジョー山中の

最強タッグで

リリースしています。

こちらも

インディース・レーベル

からリリースであったので

一般のレコード店には

なかなか並ばなかった

逸品。



オブラディ・オブラダ/ザ・カーナビーツ


1969年3月10日リリースだった

シングル『オブラディ・オブラダ』

のA面で


ビートルズのカヴァーで

オリジナルにない

エンディングが面白い。


すでにオリジナルに

忠実な直球型の

ビートルズ・カヴァーが

主流になっていた時代に


久々に漣健児の起用で

実現した日本語カヴァー


オリジナルの

「Desmond」と「Molly」を

「太郎」と「花子」に

置き換えたお得意の

超訳が光る。


カーナビーツといえば

「お前の全てお!」

とシャウトしながら

スティックを突き出す

アイ高野のパフォーマンスで

大ヒットした

デヴュー曲

『好きさ・好きさ・好きさ』

ゾンビーズのカヴァーだが

漣健児の意訳歌詞が

どハマりした例だが



やっぱり、

日本語カヴァーならば

ビートルズも

スリー・ファンキーズの「抱きしめたい」

クール・キャッツの「プリーズ・プリーズ・ミー」

東京ビートルズの「キャント・バイ・ミー・ラブ」


などの超訳を務めた

漣健児でなくては

という思いがあったのかもしれません


業界には

ビートルズには日本語歌詞が

乗らないという定説があり、

そもそも

これを言い出したのは

漣健児本人のようだ


母国語でビートルズを聴ける

喜びというものがあります



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