人気ブログランキング | 話題のタグを見る
■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百参什六夜■
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什六夜■_b0050938_131149.jpg



こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □



あなたが欲しい~ハプニングス・テーマ/ザ・ハプニングス・フォー

青い影/ザ・スパイダース

悲しみのかげに/スケルトンズ

あなたの影/レオ・ビーツ

黄色の世界/Jガールズ

アリゲーター・ブーガルー/ザ・ホワイト・キックス

レット・イット・ビー/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ




あなたが欲しい~ハプニングス・テーマ/ザ・ハプニングス・フォー


東宝1969年6月14日封切りの

小沢昭一主演サラリーマン映画

『ブラック・コメディ ああ!馬鹿』より


ナイトクラブで演奏するシーンで

使用された楽曲


1967年11月リリースだった


デヴュー曲『あなたが欲しい』

の教会音楽的な永遠性

を感じる美しい音色の

オルガンから突如


『ハプニングス・テーマ』の

前衛的演奏に変わる。


この『ハプニングス・テーマ』は

1968年7月1日リリースの


ファースト・アルバム

『マジカル・ハプニングス・トゥアー』

A面の1曲目

にも収録されている

ハプ4のオリジナル・ナンバー




青い影/ザ・スパイダース


1968.3.15

『スパイダースNo.5』


ジャケットのセンスは

なかなかいいが

シングル・カットされている

A面の

「あのとき君は若かった」

「もう一度もう一度」

B面の

「いつまでもどこまでも」

以外はすべて外国のカヴァーで

時代を反映した

サイケデリックなプレイも

あまりきけない

スパイダースのなかでは

一番地味な

イメージのある

アルバム

『スパイダースNo.5』


のA面3曲目に収録された

『青い影』


英国のロック・バンド

プロコル・ハルムの


1967年リリースだった

デヴュー曲にして

グレイテスト・ヒッツ・ナンバー

のカヴァー



ムッシュがソロをとっている

もう、

この曲が

こんなに似合う人物は

他にいないと思う


悲しみのかげに/スケルトンズ




ザ・スケルトンズ/悲しみのかげに



スケルトンズは京都出身の

和製ラスカルズを

目指していた

グループ


唯一のシングル

『星の王子さま』のB面から

「悲しみのかげに」

を聴いていただきましたが


米国ブルーアイドソウルの

第一人者ラスカルズの

「Find Somebody」の

日本語カヴァーという


マニアック選曲




あなたの影/レオ・ビーツ


1968年リリースの

二枚目のシングル

『貴族の恋』のB面


作詞:橋本淳

作曲:すぎやまこういち

のアップテンポのラテン歌謡


レオビーツは

コンガやギロを取り入れて

ラテン・ロックを得意としていたグループ


1966年、九州・博多で結成されたバンドで

当初は

”里見洋とロス・カンターノス”という

名前だった

市内のナイトクラブやジャズ喫茶で

活動していたところ

渡辺プロダクションにスカウトされて

当時の宣伝文句によると

”たまたま福岡に来ていた

布施博に発掘された”のだという


67年7月に上京

福岡の西鉄ライオンズにちなみ

レオ・ビーツと命名され


タイガースと目と鼻の先の四谷四丁目に下宿を構え

8月15日、新宿B&Bを皮切りに

東京での活動をスタートさせた


とにかく、

歌唱力はすこぶるいいバンドだが


しかし

爆発的なGSブームに

埋没してしまい

全く目立たなかった。


その後、ムード・コーラスに

新境地を見出した

シングルを二枚出したが不発


後年は女性メンバー3人を加え”ルートNo. 1”

その後、演歌ポップスの”里見洋と一番星”へと

変遷を遂げる


黄色の世界/Jガールズ


葉月しのぶ と 葉月ジュン姉妹による

J・ガールズは人気作曲家

三沢郷とともに活動し

1969に静かなナンバー

「あなたが来ない日」でデヴュー


お聞き頂いた

「黄色の世界」は


同じレコーディング・セッションに

よるものだが


デヴュー曲よりもさらに素晴らしい

仕上がりで


1995年に発売された

コンピレーションCD

『キューティー・ポップス・コレクション』

で紹介されるまで

お蔵入りとなっていた


この曲はピチカート・ファイヴの

『グッドナイト・トーキョー』と

ジョニー・デップのコカイン映画

『ブロウ』のサウンド・トラックにも収録されている




アリゲーター・ブーガルー/ザ・ホワイト・キックス(1968/5)


1968年4月から東京12ちゃんネンルで

放送が始まった

「ヒット・イン・パンチ」

という番組の為に

ジャズ・ピアニストで

レーサーで俳優で

映画監督という

プレイボーイ三保敬太郎

 が 結成したグループ。


ザ・サベージを

「学業を優先する」

という理由で脱退した

寺尾聡と林廉吉も

何故か参加している。


学業優先はどこいった



レット・イット・ビー/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ


ビートルズ現役時

最期のシングルとして

英国では70年3月25日

にリリースされた曲で


ビートルズの日本語版

シングルの中で

最大のセールスを

記録したのが

レット・イット・ビー


70年10月10日の

リリースだった

ブルー・コメッツの

歌と演奏の他に

多数のゲスト・シンガーが

出演参加した2枚組

アルバム


『ポピュラー・ヒット25年史(下巻)』

のなかで

このカヴァーを発表している


ヴォーカルは

三原綱木







ラジオルルイエでは
リスナー様の
お便りを募集しています。

リクエストや、質問なんぞも受付マッス!

お手紙お葉書などに
番組へのご意見ご感想
を書いてお送りください

紹介されると
番組特製オリジナルステッカーと
D,侯爵手書きのQシート
深海の不気味イラスト入り
をプレゼントいたします

D,侯爵への励ましのお便り待ってます。

どしどしお便り下さい



---------------------------------------------------------------
FMおだわら
「ラジオルルイエD,侯爵宛」

〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地 小田原市役所1F

FAX.0465-35-4230

---------------------------------------------------------------


D,侯爵への励ましのお便り待ってます。





---------------------------------------------
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什六夜■_b0050938_131149.jpg



『D,侯爵の『RADIO R'lyeh』』をパソコン・スマートフォンで聞く方法:

FMおだわらの公式サイトの上部にあるバナーをクリックするか、

http://www.jcbasimul.com/?radio=fm%E3%81%8A%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%89からJCBAインターネットサイマルラジオにアクセス

なお、
広告非表示アドオンはOFFにしてください

□聴けないかたはブラウザのFlash設定がOFFになっていないかご確認ください。
OFFであればONにしてください

□Podcast




# by marquis_de_d | 2023-03-26 21:00 | RADIO R'lyeh
■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百参什伍夜■
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什伍夜■_b0050938_131149.jpg



こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □




アイム・ア・マン/ザ・ビーバーズ

ブーガルーNo.1/ザ・マミーズ

Cool Cool Night/加山雄三とザ・ランチャーズ

Why Don't You/加山雄三とザ・ランチャーズ

ソー・ロング・ベイビー/ザ・モージョ

陽はまた昇る/ザ・ゴールデン・カップス

ドッグ・オブ・ザ・ベイ/ザ・ボルテージ


アイム・ア・マン/ザ・ビーバーズ


和製ヤードバーズ、ビーバーズ。

専門家筋からは非常に評価の高かった実力派グループ。

1968年のアルバム『ビバ!ビーバーズ』から。

ヤードバーズのコピーです。このバンドの実力と

そして、この時代の世相、ガレージ感、サイケ感を知るにはこの曲

で良いだろうということで聴いていただきましたが、

GSでよくヤードバーズをコピーしていたバンドと言えば

初期のゴールデンカップス。まあ、これはエディ藩が

19のときに渡米してヤードバーズの演奏を目の当たりにして

るので(ディズニーランドで)

当然の流れなのかもしれませんが

とくにヤードバーズのコピーに熱心だったのはビーバーズ。

日本で最初のツイン・リード・ギターを完成させたのもこのGSです。




「アイム・ア・マン」

成田賢(なりたけん)(『サイボーグ009』『電子戦隊デンジマン』『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の主題歌)のハーモニカと

石間秀樹(後にフラワートラベリンバンド)のギターの絶妙な掛け合いが聴けます。



しかし、これほどヤードバーズに傾倒していた彼らですが

当時ほとんど評価されなかった。



ブーガルーNo.1/ザ・マミーズ


ハワイで高校生生活を

送った田端義継(歌手、田端義夫(バタヤン)の長男)

が帰国後の68年3月

歌手になることを父親に反対されたために

内緒で自作曲を遠藤実氏のところへ

持ち込んだところ

グループ・サウンズの

ヴォーカルが良いだろう

と勧められて

結成したグループ


唯一のシングルのA面

68年のニューリズム

ブーガルーの流行を

当て込んだもの


しかし、ブーガルのもつ

クラブ感覚とはほど遠い

野外で焚き火を囲んで

踊っているような

すっとぼけた土着性が

かえって

妙なあじわいを

だしている

和製ブーガル


68年秋からは

ソロ・シンガー

車英二の

バックバンドを

ジャズ喫茶でつとめたり

していましたが

そのうち音沙汰が

なくなってしまった


もう一つ

注目すべきは

ヴォーカルの藤原喜久雄


もともと

楽譜が読めなかった

というが、天性の才能で克服したという。


マミーズ解散後は

原信夫率いるシャープアンドフラッツでR&B

をこなし


その後、

1978年には

ピート・マック・ジュニアという

名前でヴォーカル版『ルパン三世のテーマ』で

その名を後の世まで轟かせることになる


70年10月大映映画『高校生番長 深夜放送』

では主題歌「午前0時のロック」を歌っていた





Cool Cool Night/加山雄三とザ・ランチャーズ(1967/12

Why Don't You/加山雄三とザ・ランチャーズ



ハプニングス・フォー、

スーナーズも参加した

アルバム『加山雄三のすべて第三集・ゴーゴー加山雄三』

から二曲。



非行の温床となるとして

1965年秋あたりから

教育関係者を中心に

始まった

エレキ・バッシング

にもかかわらず

エレキ人気が衰えなかった

背景として


196512月公開

空前の配収を記録した

2億1千万『エレキの若大将』


アマチュア・エレキ番組で

加山のいるヤング・ビーツ

とジェリー藤尾のいる

シャークスが

バンド合戦を繰り広げる

この映画は若大将シリーズ

最高傑作

といわれ興行的にも

2億1千万の興行収入で成功し

エレキというものを社会的に

認知させた功績がある



(ちなみに同時上映は「怪獣大戦争」ゴジラ対キングギドラ、ラドン



公開した1965年は

ベンチャーズの

来日公演もあって

まさに1965年は

エレキブーム絶頂であったといえます。


しかし、寺内タケシが

ブルー・ジーンズを脱退した

1966年あたりからエレキ人気

に翳りが見えてくる。


そして66年6月30日から

7月2日ビートルズ来日によって

エレキインストバンド

がとたんにかっこわるく

見えてきてしまう。


ベンチャーズみたいに

歌の無いエレキバンド、

ダサい。みたいな。


そこいくと、

エレキだけでなく

歌も歌えた加山雄三は

66年七月の日劇のワンマンショー

で三日間で二万七千人動員という人気。


このときのステージは

そのまま映画化されて

(東宝『歌う若大将』)



そういった流行の流れがGSブームにつながっていく


ビートルズ来日時にホテル(たしかヒルトン

訪ねて行って交流した唯一の日本人

ミュージシャンが加山雄三だ。




ソー・ロング・ベイビー/ザ・モージョ




弘田三枝子の

バックバンドとして

活動していたグループ、

”渡辺明とリズム&ブルーセス”

のキーボード奏者だった

本田竹彦が67年に結成した

グループで


その後、68年2月から

2ヶ月間アメリカへ

勉強にいっていた弘田三枝子が

帰国後「日本のアレサ・フランクリン」

としてR&Bを歌い始めた頃

やはり、

弘田三枝子のバンドとして

活動していました


69年2月に『欲ばりな恋』で

デノンからデヴュー

デヴュー時のメンバーは


リーダでオルガン担当の本田竹彦

ヴォーカル:鈴木実と西久保和来かずき

ギター:南正博

ベース:山田英男

ドラムス:平野裕之ひろゆき


なんですが

『欲ばりな恋』リリース直後の

1969年3月に

リーダの本田竹彦

ギター:南正博

ベース:山田英男

が脱退


メインのメンバーを失って

危機的な状態に陥ってしまう


オルガン古田皓士ひろし

ギター三畑貞次


を迎え入れ再起を図ったが

浮かび上がることなく

そのまま消え去った

グループ


「ソー・ロング・ベイビー」

近年発掘された

ザ・モージョの未発表曲

この曲は1968年11月に

レコーディングしているので

グループ創立者である

オルガンの本田竹彦と

前任のギタリスト南正博が

参加している可能性が高い

録音ということになります。


この曲は当時未発表だったが

2000年に『GOOD NIGHT TOKYO』

というコンピレーションCD

に収録され陽の目をみた。

非情に完成度が高く

なぜお蔵入りしたのか


理由が全くわからない




陽はまた昇る/ザ・ゴールデン・カップス


横浜、本牧のクラブ

”ゴールデン・カップ”の

レギュラーとして活動をはじめた

バンドで


当初は”グループ・アンド・アイ”という

名前だった


メンバーは

元スフィンクスの

デイヴ・平尾とマモル・マヌー


元テイク・ファイヴの

ルイズ・ルイス・加部


元ファナティクスのエディ藩


の五人


日本のバンドにはない

インターナショナルな感覚と

テクニックで


もっぱらゼムやヤードバーズ

さらにはジェームズ・ブラウン

オースティン・レディング

フォー・トップス

などR&Bをレパートリーとし

好き勝手に演奏している

グループとして

評判はすぐに玄人筋に広まった


バンド名を

ザ・ゴールデン・カップス

と改め1967年6月

東芝/キャピトルから

「愛しのジザベル」でデヴュー


そんな

デヴュー・シングル

「愛しのジザベル」のB面 


「陽はまた昇る」


ファズをフル活用の

ガレージ・サイケで


デイヴ・平尾の

民謡的唱法が

面白い効果をだしている。




ドッグ・オブ・ザ・ベイ/ザ・ボルテージ



ボルテイジの事務所、

富士音楽企画の社長

木村信夫氏


がもっと外国にも

対抗できるような本格的な

R&Bバンドを作ろうとして

見つけてきたのが

ボルテイジというわけだが


GSによるR&Bカヴァーの

理想型を見ることのできる

1968年8月に出した

ボルテイジ唯一のアルバム

『R&Bビッグヒット』に

収録されている


ドッグ・オブ・ザ・ベイ



1968年に世界中で大ヒットした

オーティス・レディングの

ナンバーのカヴァー



ボルテイジ唯一のアルバム

『R&Bビッグヒット』

山下達郎氏も大絶賛しているという


ホーン・セッションは

導入せずに

代わって、

目一杯かけたファズと

限りなくチープなオルガンが活躍


GSとしての

アイデンティティーを

失わずに

且つ

”ファンキー”や”グルーヴ”

といった

黒人音楽の本質に

鋭く迫っている


レコーディングの

際には


桜井ユタカ氏

(ソウルミュージック

R&Bミュージックなど

ブラック・ミュージックを

日本に紹介した第一人者)


が付きっきりで

アドバイスをしたという

アルバム




素晴らしいアルバムですが

本人達からすれば

このアルバムは

出来の方は思わしくなかった

ステージの方がはるかに良かった

と本人達もいうほど。




ラジオルルイエでは
リスナー様の
お便りを募集しています。

リクエストや、質問なんぞも受付マッス!

お手紙お葉書などに
番組へのご意見ご感想
を書いてお送りください

紹介されると
番組特製オリジナルステッカーと
D,侯爵手書きのQシート
深海の不気味イラスト入り
をプレゼントいたします

D,侯爵への励ましのお便り待ってます。

どしどしお便り下さい



---------------------------------------------------------------
FMおだわら
「ラジオルルイエD,侯爵宛」

〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地 小田原市役所1F

FAX.0465-35-4230

---------------------------------------------------------------


D,侯爵への励ましのお便り待ってます。





---------------------------------------------
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什伍夜■_b0050938_131149.jpg



『D,侯爵の『RADIO R'lyeh』』をパソコン・スマートフォンで聞く方法:

FMおだわらの公式サイトの上部にあるバナーをクリックするか、

http://www.jcbasimul.com/?radio=fm%E3%81%8A%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%89からJCBAインターネットサイマルラジオにアクセス

なお、
広告非表示アドオンはOFFにしてください

□聴けないかたはブラウザのFlash設定がOFFになっていないかご確認ください。
OFFであればONにしてください

□Podcast




# by marquis_de_d | 2023-03-19 21:00 | RADIO R'lyeh
■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百参什四夜■
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什四夜■_b0050938_131149.jpg



こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □



ラ・ラ・ラ/ザ・ワイルド・ワンズ

赤いドレスの女の子/ザ・スパイダース

ジンジン・バンバン/ザ・タイガース

オブラディ・オブラダ/ザ・カーナビーツ

太陽はもう輝かない/ザ・リード

ムーン・アンド・スターズ/ザ・ハーフ・ブリード

デイドリーム/ザ・スウィング・ウエスト


ラ・ラ・ラ/ザ・ワイルド・ワンズ


スウェーデンのグループシャムロックスのカヴァーで

タイガース、木の実ナナ

など日本でも

多くのミュージシャンに

カヴァーされた楽曲。


とにかく

レインボウズの「バラ・バラ」

ウィルソン・ピケットじゃなくて

ウォーカー・ブラザーズ・ヴァージョンの方の

「ダンス天国」

ジョンデルスの「ハンキー・パンキー」

そしてこの


シャムロックスの「ラ・ラ・ラ」は

GSクラシックスといえる楽曲で


とにかく、超有名GSからアマチュアGSまで

ほとんどのバンドがレパートリーにしていた。


これらの曲に共通する特徴は

あまり英語を覚えなくても

いいということに尽きると思う



1968年2月1日にリリースされたLP

『ザ・ワイルド・ワンズ・アルバム第二集』

A面オリジナル、B面カヴァーという

構成のアルバムだった。


全般にオーケストラを配した

カヴァー曲で構成されており

バンドとしての工夫は

あまり見られない中で


B面の4曲目に配置された

この曲は

シタールを導入するなど

独特のアレンジになっている


赤いドレスの女の子/ザ・スパイダース




明治百年とスパイダース結成七周年を

記念して発表された

1968年10月リリースのアルバム

「明治百年すぱいだーす七年」


A面には

スパイダースそれぞれのメンバーが

作詞作曲しソロをとったオリジナル曲を

披露したアルバムだが、


B面は主に

作詞が橋本淳

かまやつひろし作曲

大野克夫編曲


で構成されている。


橋本淳と言えば

『ブルー・シャトウ』

『亜麻色の髪の乙女』

など、GS曲を数多くてがけ


オリコンチャート解析において

「GS関連で最も売れた作詞家」

としても知られる。



陽気なリズムと

軽快なパーカッション

で確かな

スパイダニズムを

味わえる

爽快なナンバー



ジンジン・バンバン/ザ・タイガース



八枚目のヒットシングル

「青い鳥」のB面


ブンブン

ベースにまでファズがかかっている

ワイルドなナンバー。


ロック・バンドとしての

タイガース面目躍如たる一曲。


このころ

オーケストラをバックにした

シングルが続いた

タイガースですが


この曲は

ジミヘン風のギターを始め

演奏はぐっと厚みを増して

いわゆるニューロックの音に

なっています。


オブラディ・オブラダ/ザ・カーナビーツ


1969年3月10日リリースだった

シングル『オブラディ・オブラダ』

のA面で


ビートルズのカヴァーで

オリジナルにない

エンディングが面白い。


すでにオリジナルに

忠実な直球型の

ビートルズ・カヴァーが

主流になっていた時代に


久々に漣健児の起用で

実現した日本語カヴァー


オリジナルの

「Desmond」と「Molly」を

「太郎」と「花子」に

置き換えたお得意の

超訳が光る。


カーナビーツといえば

「お前の全てお!」

とシャウトしながら

スティックを突き出す

アイ高野のパフォーマンスで

大ヒットした

デヴュー曲

『好きさ・好きさ・好きさ』

ゾンビーズのカヴァーだが

漣健児の意訳歌詞が

どハマりした例だが



やっぱり、

日本語カヴァーならば

ビートルズも

スリー・ファンキーズの「抱きしめたい」

クール・キャッツの「プリーズ・プリーズ・ミー」

東京ビートルズの「キャント・バイ・ミー・ラブ」


などの超訳を務めた

漣健児でなくては

という思いがあったのかもしれません


業界には

ビートルズには日本語歌詞が

乗らないという定説があり、

そもそも

これを言い出したのは

漣健児本人のようだ


母国語でビートルズを聴ける

喜びというものがあります



太陽はもう輝かない/ザ・リード


1969年3月リリースだったLP

『サウンド・オブ・サイレンス/ザ・リード・ゴーズ・トップ・ヒット』


全編、ハーモニー重視で

ソフト・ロック路線の

全曲カヴァーで構成されている

アルバムで


ビートルズ

ビー・ジーズ

モンキーズ

ドアーズ

ローリングストーンズ

ジミーヘンドリックス

などなど


当時のありふれたヒット・ナンバーが

取り上げられ


オーケストラを配して歌う

可もなく不可もない曲

で構成されたアルバムから


太陽はもう輝かない


ウォーカー・ブラザーズの

ヒット曲のカヴァー


すっきりとした

クリアなコーラスが

心地よいソフトロックに

仕上がっている



リードといえば

当時のミュージシャンならば

知る人ぞ知る存在で


リード・ギターの

マーク・エルダーが

チョーキング奏法を

日本に持ち込んだ

まさにその人なのである。


それまで、

日本のバンドは

チョーキングを知らなかったのである


ザ・リードは

赤坂のクラブ「チータ」の

ハウス・バンドとして

活動しており

マークの演奏を見て

度肝を抜かれたという

GSマンは多い


そこには

マークのブルース・ギターを

盗み見するために

日本のGS連中が

毎晩のようにやってきていた

というのである。


ダイナマイツの山口富士夫も

その一人で

「とにかくアンプはボリュームいっぱい

トレブルもベースもいっぱいにして

こうやってチョーキングすれば

クリームみたいな音が出るんだっていうのが

俺は見てすぐわかったわけ


で、真似してみたら

同じ音が簡単に出た」


と『日本ロック大系上巻』に証言がある


山口富士夫が

ギブソンのES-355ステレオ・ヴァージョン

を使うようになったのも

その時にマークが使っているのを見た影響だと言っている


このほかにも

柳ジョージ

浅野孝巳

陳信輝など

多くのミュージシャンが

マークの演奏を見て

ブルース・ギターを学んだことを証言している


マーク・エルダーは

チョーキング奏法の伝道師

と呼ぶべき存在だ



ムーン・アンド・スターズ/ザ・ハーフ・ブリード


1969年 1月10日リリースだった

彼らのファーストシングル

『不思議な夢』

のB面「ムーン・アンド・スターズ」

英語歌詞による

さりげない


ボッサ・ロック


日系人を中心に

68年7月に結成された

グループでメンバーは


日系二世のヘンリー

日系ハワイ人のポール

仏中混血のアレン

アメリカ人のジャック

法政二高在中の日本人、マーク


立川、横田などの

米軍基地で活動した後、

都内のジャズ喫茶、

ディスコテークなどに進出


また、FENの「ティーンエイジャース・オン・パレード」

や「ファン・ダイヤル」にも出演した


在日外国人のバンドとしては

珍しく、R&Bではなく

(猫も杓子も

R&Bだった当時に)

ソフト・ロックを

売り物として

雑誌などでは

「日本のウォーカー・ブラザーズ」

といった扱われ方だった


69年1月「日本初のソフトロック」を謳い文句に

東芝/エキスプレスから

美麗なストリングスをバックにした

バラード「不思議な夢」でデヴュー


その後しばらくなりを潜めていたが

70年2月には第2弾として

「恋の足あと」を密かにリリース


旧GS勢がほとんど存在しなく

なった頃の1971年8月封切りだった

日活映画『八月の濡れた砂』

にこのバンドの出演シーンが

あることから


かなり後期まで活動していた

ことがわかる


―――――――――――――――――――


日本では69年頃になると

それまでのGS/ガレージ・サイケ路線から

かわってニューロック/ブルース・ロック

系のサウンドが台頭してくるが

その一方で

コーラス・ハーモニーを重視する

ソフトロック系のグループも

かなりでてきます。


ハーフ・ブリードなどは

ソフトロックグループの白眉で

優秀なバンドだったが

当時ほとんど注目されることはなかった。


ちなみに、近年日本では

この「ソフトロック」という

ジャンルは見直され

高い人気を得ているが


海外で日本のソフトロックが

再評価されたという話は

聞いたことがなく

日本だけの風潮のようです


そもそも、ソフトロックという

言葉が和製英語で、

欧米では通じないと

よく言われます


―――――――――――――――――――

デイドリーム/ザ・スウィング・ウエスト



1960年代の

ロカビリー時代から続いている

伝統のあるバンド

というか正確には

1957年三月に結成された

ウエスタン・バンドが

何度も衣替えしている

うちにGS時代まで

生き残ってしまって

伝統あるこのバンドも

66年頃には流行の

エレキギターバンドに

なっていたが

歌手三人に

バンド五人という編成は

前時代の名残を感じます


GS時代は「雨のバラード」

が思わぬヒットを飛ばし

少しは名前が知られるようになった


1968年5月リリースだった

アルバム『ステッピン・ア・ゴーゴー』より

主に67年ごろのヒット曲を

取り上げたエレキ・インスト集


ほとんどの曲でファズがうっすら

使われている他は

いかにも仕事でやってます

と言った無難な演奏




ラジオルルイエでは
リスナー様の
お便りを募集しています。

リクエストや、質問なんぞも受付マッス!

お手紙お葉書などに
番組へのご意見ご感想
を書いてお送りください

紹介されると
番組特製オリジナルステッカーと
D,侯爵手書きのQシート
深海の不気味イラスト入り
をプレゼントいたします

D,侯爵への励ましのお便り待ってます。

どしどしお便り下さい



---------------------------------------------------------------
FMおだわら
「ラジオルルイエD,侯爵宛」

〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地 小田原市役所1F

FAX.0465-35-4230

---------------------------------------------------------------


D,侯爵への励ましのお便り待ってます。





---------------------------------------------
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什四夜■_b0050938_131149.jpg



『D,侯爵の『RADIO R'lyeh』』をパソコン・スマートフォンで聞く方法:

FMおだわらの公式サイトの上部にあるバナーをクリックするか、

http://www.jcbasimul.com/?radio=fm%E3%81%8A%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%89からJCBAインターネットサイマルラジオにアクセス

なお、
広告非表示アドオンはOFFにしてください

□聴けないかたはブラウザのFlash設定がOFFになっていないかご確認ください。
OFFであればONにしてください

□Podcast




# by marquis_de_d | 2023-03-12 20:00 | RADIO R'lyeh
■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百参什三夜■
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什三夜■_b0050938_131149.jpg



こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □





ナンシー・アイ・ラブ/ザ・ボルテージ

ワンス・アゲイン/ザ・ラヴ

朝まで待てない/ザ・モップス

悪魔のベイビー/ザ・クラックナッツ

Cry Cry Cry/Edwards

Gimme Little Sign/ザ・ゴールデン・カップス

孤独の叫び/ザ・テンプターズ





ナンシー・アイ・ラブ/ザ・ボルテージ



1968年11月に

ボルテイジの事務所、

富士音楽企画の社長

木村信夫氏がもっと

外国にも

対抗できるような本格的な

R&Bバンドを作ろうとして

見つけてきたのが

ボルテイジというわけだが


ナンシー・アイ・ラブ


2枚目のシングルのB面

青春歌謡なのかR&Bバラード

なのかよくわからない曲で

橘のソロ


オリジナルでは

なぜかオーケストラを

導入した歌謡バラードに

なってしまうザ・ボルテージだが


ステージでの

レパートリーは

もっぱら黒人の

ソウル音楽オンリーで

白いのは一切やらなかった

ボルテイジ


当時のGSは

レコードでこの程度だから

ステージはさぞかし

酷かったろうと、

思われがちだが、

レコードよりも

ステージの方が何倍も

スゴいバンドがたくさんあった







ワンス・アゲイン/ザ・ラヴ


実力派GSアウト・キャストで


ヘヴィなファズが

先導するビート・ナンバー

「レッツゴ・ーオン・ザ・ビーチ」や


数多くのGSのオリジナル曲の

中でも”ガレージ”と呼ぶにふさわしい

「電話でいいから」等の


名曲を作詞作曲しつつ


67年夏、コレからというときに


アウト・キャストを

脱退した藤田浩一が

68年に結成したグループが


ザ・ラヴ



越路吹雪と競作になった

「イカルスの星」で

東芝エキスプレスからデヴュー


この「イカルスの星」の

B面が「ワンス・アゲイン」で

藤田浩一のオリジナルナンバー

ファズをフィーチャーした

ポップ・ナンバーで

一度、フェードアウトして

またインしてくるという

凝ったエンディングが聴きもの


A面の「イカルスの星」も会心の出来で

初期の東芝エキスプレスの

中でも傑出した良い曲だったが


何故かヒットせず

埋もれて島阿多


彼らのパワー・ポップ性

はもっと評価されるべき


なお、藤田浩一は

のちに、トライアングル・プロの

社長として再浮上し

菊池桃子で大ブレイク


80年代のある時期、

すべてのGS出身OBのなかで

もっとも成功を収めていたと

言っても過言ではないだろう






朝まで待てない/ザ・モップス




薄めのファズ使用で

サイケ度はそれほどでも

ありませんが、何を隠そう

これが阿久悠の出世作となります


内発性があろうがなかろうが

モップスが

サイケデリック・ミュージックを

標榜して登場してきた

日本最初のバンドであることは

事実である


1966年、埼玉で

結成されたこのバンドは

当初は

ヴェンチャーズ・ナンバー

などをレパートリーとする

エレキインスト・バンドに

過ぎなかった


そこに鈴木ヒロミツの

加入によって

ヴォーカルにも

取り組むようになり

やがて

埼玉や都内のディスコテーク

ゴーゴー喫茶などで

活動を始め

67年には

GSブームを見越した

ホリプロと契約を結んだ。


GS戦国時代に突入する

67年、秋の

レコードデヴューに際し

なんとか他のバンドと

区別化を計ろうと策が

ねられた結果、

日本最初のサイケデリック・グループ

として売り出されることになった。


これは

事務所の社長、堀 威夫の

アイデアで

彼はちょうど、その年の

夏に訪れたサンフランシスコで

フラワー・ムーブメントを

目の当たりにし、

「次の時代はこれだ」

と直感していた。


ジェファーソン・エアプレインなどの

レコードを聴かされた

モップスは

これなら自分たちの

カラーともマッチすると

乗り気になったのであった。


67年11月デヴュー盤

「朝まで待てない」が

ビクターからリリースされた。



奇抜な衣装をまとい、

目隠しをして歌ったり

ドラムが真横を向いて演奏したり


サイケデリック・イメージの

演出につとめた結果

この曲は

オリコン38位までいった





Cry Cry Cry/Edwards

クライ・クライ・クライ/ジ・エドワーズ



筒美京平のキャッチーなメロディと

ファズの効いた演奏と

狂おしい歌のバランスが

うまくとれたGSサウンド


レコーディング当日に

ヴォーカルの興石秀之が

風邪のため声が出ず、

代わりにオルガンの麻紀タケシが

歌っている。





Gimme Little Sign/ザ・ゴールデン・カップス


1968年9月10日リリースだった

『ザ・ゴールデンカップス・アルバム第2集』

B面5曲目

ブレントン・ウッドの1966年の

ヒットナンバー

ポップスの名曲

「Gimme Little Sign」のカヴァー

オルガンのソロが印象的なこの曲を

入れているあたり

ミッキー吉野加入を

強くアッピールした

意図を感じる


ゴールデン・カップスの

最初のアルバムは

68年3月にリリースした

カヴァー中心のアルバム

『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』

なわけだが


これ以降、シングルは

「商品」ときっぱり割り切って


音楽的本領は

アルバムで

発揮していくことになる。


68年7月にケネスがビザの関係で

ハワイへ帰国すると

変わってフラワークリエイションの

キーボード奏者

ミッキー・吉野

が加入する


この頃から

彼らの音楽は

それまでのR&Bから

ホワイト・ブルース的なものへと


移り変わっていくのだが


この

『ザ・ゴールデンカップス・アルバム第2集』

1968年9月10日リリースだ


そんな過渡期の

アルバムだった




孤独の叫び/ザ・テンプターズ

モーディ


1969年4月20日、

東京・新宿厚生年金会館大ホールにて

開催された

テンプターズ・ファン・クラブ例会でのライヴ


このイベントではテンプターズの

ライヴをはさんで

メンバー愛用品のプレゼント・コーナー

ファンからの質問に直接メンバーたちが

答えるQ&Aコーナーなどを

盛り込んだ

テンプターズの親睦会的要素の強いものだった


この様子は

後にリリースされた

テンプターズ唯一の

ライヴアルバム

『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』で

その一部を聴くことができる

劣悪な音質が

妙な臨場感を出している


このライブでは

田中俊夫がオルガンを弾いて

音の巾を広げているが


特にA面6曲目の

アニマルズのカヴァー


孤独の叫び


ではその効果を十分に発揮している


この時ショーケンは

目隠しをして

ステージを這いずり回り

ながら歌う


という演出で


常にファンの熱狂を

煽っていた



ラジオルルイエでは
リスナー様の
お便りを募集しています。

リクエストや、質問なんぞも受付マッス!

お手紙お葉書などに
番組へのご意見ご感想
を書いてお送りください

紹介されると
番組特製オリジナルステッカーと
D,侯爵手書きのQシート
深海の不気味イラスト入り
をプレゼントいたします

D,侯爵への励ましのお便り待ってます。

どしどしお便り下さい



---------------------------------------------------------------
FMおだわら
「ラジオルルイエD,侯爵宛」

〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地 小田原市役所1F

FAX.0465-35-4230

---------------------------------------------------------------


D,侯爵への励ましのお便り待ってます。





---------------------------------------------
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什三夜■_b0050938_131149.jpg



『D,侯爵の『RADIO R'lyeh』』をパソコン・スマートフォンで聞く方法:

FMおだわらの公式サイトの上部にあるバナーをクリックするか、

http://www.jcbasimul.com/?radio=fm%E3%81%8A%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%89からJCBAインターネットサイマルラジオにアクセス

なお、
広告非表示アドオンはOFFにしてください

□聴けないかたはブラウザのFlash設定がOFFになっていないかご確認ください。
OFFであればONにしてください

□Podcast




# by marquis_de_d | 2023-03-05 20:00 | RADIO R'lyeh
■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』第五百参什二夜■
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什二夜■_b0050938_131149.jpg



こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □




ファンタジック・ガール/内田裕也とザ・フラワーズ

逢いたい逢いたい/ザ・ナポレオン

女の子/ザ・デビィーズ

恋はハートで/泉アキとザ・レインジャーズ

ストップ/寺内タケシとバニーズ

ドント・レット・ミー・ダウン/ズー・ニー・ヴー

幸せの道/ザ・ワイルド・ワンズ



ファンタジック・ガール/内田裕也とザ・フラワーズ


ファンタジック・ガール/内田裕也とザ・フラワーズ


69年11月にリリースされた

フラワーズのラストシングルとなった

二枚目のシングル


『ファンタジック・ガール』のA面


曲自体は歌謡曲だが

デヴューシングルである

「ラスト・チャンス」同様

キャッチーなメロディを

歌い上げる

麻生レミのハスキーな

歌声がたまらない


全体で流れる

小林勝彦の

スティールギターも

サイケ感を

演出している




逢いたい逢いたい/ザ・ナポレオン


大阪GSの大御所、

リンド&リンダースが経営していた

ゴーゴー・喫茶『ゴーゴーGT』

のレギュラー・バンドとして

活動していたのが

このバンド


リンド&リンダースの

弟バンドとして67年12月、

全員京都出身者によって

結成された。


本作は68年5月に出た

デヴューシングルのA面

「逢いたい逢いたい」


恋する若者の

気持ちをストレートに

表したような

疾走感のあるビートに

のったファズから


サビで突如として

GS歌謡になり


その上

間奏中に

台詞が入るという


ドラマチックな場面展開が

ユニークなガレージ・パンク


もっぱら、

ジュリー似で人気のあった

北井俊がこのバンドのアイドルで

曲の冒頭や歌詞の中で出てくる

”ジェーン!”

という名前は

北井のニックネームだった


リンド&リンダースの

弟バンドということで

そこそこ人気はあったが


しかし、

全く売れず

同年10月

二枚目のシングルをだしたものの

そのうち解散してしまった



女の子/ザ・デビィーズ


北海道のGS


デビィー中野という

黒人音楽好きの人物がマネージャーになって

67年6月に結成された


「女の子」

69年5月30日に録音された

まま、お蔵入りしていた

ものが

2001年になって

発掘され

CD化したもの




ストップ/寺内タケシとバニーズ



ストップ/寺内タケシとバニーズ 1967



66年に寺内タケシが

殺人的スケジュールのため多忙すぎて

過労で倒れちゃって

ブルー・ジーンズ脱退

するわけですけれども。

ヤッパリエレキを捨てる事が出来きなかった



そんな時代に対応すべく

エレキインストと歌を両立させたバンド


寺内タケシとバニーズ


聴いていただきましたのは


ストップ/寺内タケシとバニーズ 1967


1967年「悪魔のベビー」のB面。

体育会系ガレージの真骨頂「ストップ」

「悪魔のベビー」以降のバニーズは

結構ファズを使った曲多い




ドント・レット・ミー・ダウン/ズー・ニー・ヴー


69年11月10日に

リリースされた彼らのセカンド・アルバム


『ゴールデン・ズー・ニー・ヴー』

収録曲


ビートルズが69年4月に発表

日本では6月1日発売だった

シングル「ゲット・バック」のB面


カバーというより

コピーと言った方が

相応しい


直球型のカヴァー




幸せの道ザ・ワイルド・ワンズ 1968


五枚目のシングル

「恋するアニタ」のB面。


ワイルド・ワンズといえば



「青空のある限り」で

重厚な12弦ファズが有名ですが、


こちらはうっすらとかかったファズ。

 

シタールのような

ファズギターと

トレモロをかけたような

サイケオルガンが

隠し味のガレージ・フォークロック。




恋はハートで/泉アキとザ・レインジャーズ


彼女の代表曲でデヴュー曲

「恋はハートで」

バックの演奏とコーラスは

レインジャーズ


チャートの39位にランクイン


GS全盛時代、

(恋のハレルヤ)黛ジュン、

(進め!ジャガーズ敵前上陸「虹色の湖」)中村晃子、

(日米ハーフモデル「初恋のレター」)小畑ミキ

と言ったGS的コンセプトを持った

ガール・シンガーが

次々と登場してきたわけだが

泉アキもその一人だった


インド系アメリカ人との

ハーフである泉アキは

日本テレビ系

人気オーディション番組

「あなたの出番です」(略称:あな番)

で合格してショービジネスの世界に

入り、


はち切れんばかりの太ももと

しゃくり上げるような

歌い方で


60年代に6枚のシングルを

リリースしている。

(クラウンから4枚、フィリップスから2枚)


それらの楽曲のほとんどは

GSサウンドをバックに

しゃっくりのような

スタッカート唱法で歌い上げている

のが特徴です


まあ、結局、

泉アキのバッキングをつとめた

レインジャーズにしてみれば

この曲の方が自分たちのレコード

「星空の恋人」より

売れてしまった為に

レインジャーズは

単なるバックバンドとして

とらえられることが

多かったという

憂き目を見ることになる。



これがその後の

二枚目のシングルから

バンド名の表記が


レンジャーズと

変更していることに

関係しているかどうかは

定かではありませんが


ラジオルルイエでは
リスナー様の
お便りを募集しています。

リクエストや、質問なんぞも受付マッス!

お手紙お葉書などに
番組へのご意見ご感想
を書いてお送りください

紹介されると
番組特製オリジナルステッカーと
D,侯爵手書きのQシート
深海の不気味イラスト入り
をプレゼントいたします

D,侯爵への励ましのお便り待ってます。

どしどしお便り下さい



---------------------------------------------------------------
FMおだわら
「ラジオルルイエD,侯爵宛」

〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地 小田原市役所1F

FAX.0465-35-4230

---------------------------------------------------------------


D,侯爵への励ましのお便り待ってます。





---------------------------------------------
■D,侯爵の『RADIO R\'lyeh』第五百参什二夜■_b0050938_131149.jpg



『D,侯爵の『RADIO R'lyeh』』をパソコン・スマートフォンで聞く方法:

FMおだわらの公式サイトの上部にあるバナーをクリックするか、

http://www.jcbasimul.com/?radio=fm%E3%81%8A%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%89からJCBAインターネットサイマルラジオにアクセス

なお、
広告非表示アドオンはOFFにしてください

□聴けないかたはブラウザのFlash設定がOFFになっていないかご確認ください。
OFFであればONにしてください

□Podcast




# by marquis_de_d | 2023-02-26 20:00 | RADIO R'lyeh


S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
『D,の部屋』
メインHPは↓から

D,の部屋
ブログパーツ
カテゴリ
全体
日常の一喜一憂
映画の一喜一憂
RADIO R'lyeh
ダイエットの一喜一憂
料理の一喜一憂
ポッドキャストの一喜一憂
自分勝手語辞典
備忘録
創作小説・童話
以前の記事
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月
フォロー中のブログ
aobashi
信楽 楽入陶房 壺中庵
ライフログ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧