今日の小田原は15:00時ごろには35.0度を超える暑さだったみたい。まさに夏。こんな日には外出したくないわけですけれども、頑張って美容院に行ってきました。外に出ると強い風が吹いていて「あ、なんだ。結構涼しいじゃん♪」とか余裕かましていたのですがやっぱり暑いものは暑い。でも、昨日新幹線で名古屋を通った時に外の温度計を見たら38.0度とか表示されていたから、まあ、風も吹いているし、これでもマシなんだろうなあ。とか思いながら美容院に向かったのでした。ついたらすぐにタオルを渡されて、冷房の下で体を冷やしたけれども、なかなか汗が止まらないので「首に巻いといたら」と美容師様に言われてタオルを首に巻いて汗を吸わせながらのヘアーカットとなりました。三ヶ月ぶりだったので髪の毛も喜んでおります。しかもなんだか自慢の新兵器アイロンでまっすぐにしてもらった。すごく新鮮な感じ。え?これが私?縛ったら、すごく「ごくせん」な感じ(仲間由紀恵的な意味で)。これはまた定期的にまっすぐにしてもらいにくるしかあるまい。ぐひひ。
ちょっと似ているけれども、その実はひどく異なっている。ということを諺で月とスッポン、という言喭があるけれど、月とスッポンはちょっとも似ていない。そもそもスッポンがどんな生物なのか現代っ子(古いネどうも。しかし‘デジタル時代に生まれた世代’とか言うとしっくりこない)の皆様の中にはご存じない、もしくは実物は見た事も無いという子もちらほらいるだろう。なに?食べた事はある?随園別館のスッポンスープかな?あ、原宿の重よしで…あ、そう。この謎について金子武雄著『日本のことわざ』には「喜多村信節の『嬉遊笑覧』の付録」と「中野吉平氏の『俚諺大辞典』」という資料を照らし合わせ説明してある。それによれば『嬉遊笑覧』によればスッポンの事を中国では「団魚」と呼び、日本でも「丸(まる)」という異名がある。月とはすなわち満月の事であり=丸であるが同じ丸でも両者は甚だしく違うものであることからこれが取り合わせられてこの諺になった、とあるがその取り合わせはあまりにも唐突であり、その着想にはひどく不自然だ。『俚諺大辞典』によれば「月と朱盆」という諺が転訛したものだという見解があり、朱盆とはすなわち朱塗りの赤い丸盆であり、これならば月との取り合わせも形の上でも色の上でもきわめて自然で、「朱盆」が「スッポン」に誤られるということは音の転訛の上からはありそうな事であるから、おそらくこの見解が当たっているだろうということである。金子武雄氏はさらに「むしろ「月」とすっぽんとの取り合わせの奇抜さに心ひかれて、このほうが広く行われるようになったものであろう」と言っていてこれには説得力があって、うむむと納得させられるんだなあ。
月とスッポンの取り合わせには何となくストーリーを想像させられてしまう何かがある。それとも、そんな物語を幼少の頃に絵本かなにかで読んでいて、それが記憶の何処か奥底から沸き出してくるのだろうか。満月の夜、蓮の葉の間から沼の水面に月の明かりは妖しく降り注いでいて、スッポンが鼻だけをポツリとだして水中から空に浮かぶ満月に惚れ惚れと見とれている。そして、それを人々は「お前とは似ても似つかないよ」と笑う。僕にはどうしてもこのスッポンが他人に思えないでいる。僕は月の美しさに見とれるあまりに自ら持つ星の輝きを忘れていたんだな。僕の目指す才能は月の冷たくも柔らかい美しさと、その月の明るさに身を潜めながらも輝く星というバランスの難しさにある。実は太陽よりも明るく煌めいているという星のしたたかさを見失っていたよ。僕はD,であってOではないんだから。
■}{ 備忘録 }{■