4:00時。早朝。溺れる寝苦しさ。寝汗で後ろ髪がじっとりと湿って今朝も目が覚める。温室で眠ったらその時の目覚めもきっとこんなだろうな、まあ、熱帯夜というわけじゃないんだ、昨夜は涼しかったほうさ。我が家は丘の上に立っているせいか街のほうよりもずっと涼しい。きっと、風がいつも吹いているからだ。なんて思いながらタンクトップにパンツ姿のまま外に出てみる。いつものようにカラスの声が聞こえてきてそのうちに空が白んできて、ヒグラシの声、徐々に蝉時雨。キジバトの声。夜があける。空を見上げると、細くて白い月が静かに輝いている。極細い月をみるといつも爪切りで切断した白い爪の切りカスを連想する。形だけでなくぼんやりとした白さが似ている。だから、パチンと爪を切ったときの音が聞こえるような気がしてくる。二十六夜月。むかし、といっても江戸時代の話だけれども、1月と7月(もちろん旧暦の話だ)の26日の夜は二十六夜待という行事があって、当時、江戸では、月の出を拝んでやろうという見物客が海岸(中でも高輪や品川の海岸は名所)や高台に集まったそう。花のお江戸の三大月見といえば「中秋の名月」と「後の月」そして「二十六夜待」というくらいだから、それは多くの人で賑わったんだろう。お大尽は料理屋の二階で遊女侍らして夕涼みと洒落込んで、下を見下ろせば路の両脇にゃ提灯の明かりに飲食の屋台が並んでドンチャン騒ぎ…なんて想像力が無駄に膨らんでしまいます。この日の夜半すぎに出る二十六夜月は月の欠けたほうから昇ってくる。だからまず地球照(地球で反射した光が月の影の部分を照らしておこる現象)によって欠けた部分が薄明るく姿をあらわし、その光の中に後光の射した阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩の三尊の姿をみるという。そして、月の両端が燭台の灯をともすように出ると光が三つに分かれ、瞬時にまた一つになるように見えるといって、これを拝むと縁起が大変よろしい。そんなわけで、縁起担ぎを口実に堂々と夜遊びできるんだ。昨夜はみずがめ座δ流星群が極大(最も多く流星が飛ぶこと)だったはず。今夜あたりはやぎ座流星群が極大、8月2日ごろはみずがめ座ι流星群が極大だから、晴れていれば南東の方角で流れ星の一つくらいみれるかな。以前は親友のニシオが天文に詳しかったものだから夏の夜は仲間達とよく流れ星を観に行ったな。みんな大人になった今でも夜空を見上げて星くらい観ているんだろうか。どうも、僕だけ月やら星やら観てぼんやりしているから大人になりそこねて子供のままでいる。なんだか、かくれんぼの鬼になって数を数えているうちに、みんな家に帰ってしまって僕だけ一人、数え終わった時にはカラス鳴く夕暮れどきのお寺の墓場にポツンと立っていたような寂しさを感じないでいられないけれども、今から精々背伸びしても間に合わないから、ここで待っているよ。
■}{ 備忘録 }{■