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■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』、第弐佰九十夜■
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こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □




キャント・バイ・ミー・ラブ/東京ビートルズ

恋のアドバイス/ザ・スパイダース

涙のイエイエ/ザ・スパイダース

お花おばさん/ザ・フレッシュメン

愛するアニタ/ザ・テンプターズ

グリーン・オニオン/ズー・ニー・ヴー

ユー・アー・ベター・マン・ザン・アイ/パワー・ハウス





キャント・バイ・ミー・ラブ/東京ビートルズ



1964年初頭、

アメリカ上陸を果たし

熱狂的なブームを巻き起こした

ビートルズのレコードが

日本でも発売されると


それまでの習わしどおり

日本のポップス・シンガーも

ビートルズ・ナンバーを

邦訳カヴァー盤で発表したのであった


ビートルズと日本語は

そぐわないという葛藤が

当時のミュージシャンには

あまりなかったのか

その後も

リヴァプール・サウンドの

邦語カヴァーはいくつも出された


なかでも

ビートルズが我が国に紹介された

直後リアルタイムに

ビートルズを日本語で

歌うことに果敢に取り組み

そして敗れ去って行った伝説のバンド

それが

東京ビートルズ


1964年5月に

『抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー』

を出したが見事に失敗


7月に

『キャント・バイミー・ラブ/ツイスト・アンド・シャウト』

を出したがあっさりこけて


もしかしてビートルズは

日本語にのらないのではないか

という杞憂を現実のものにしてみせ


結局シングル二枚で消えて行った


とにかくすごいのは

その歌詞で

「買いたいときにゃ

金だしゃ買える」


という

ここでも漣健児先生の

日本語意訳歌詞全開の

ハチャメチャぶり


このとき以来

ビートルズは

日本語にのらないという

定説ができてしまったというが

本当だろうか?


------------------------------

東京ビートルズは

二枚のシングルと

ソノ・シートを残している


このソノシートというのが

くせ者で

東京ビートルズが

ビートルズを演奏しているだけなのに

ジャケットには

ビートルズの写真が使われ

グループ名は

”ビートルズ”

とだけ表記されているのだ


このインチキ盤を騙されて

買ってしまった

哀れなビートルズファンは


結構いたようだ。


こんなサギまがいのことが

堂々とまかり通っていた

ということに時代性を感じる


------------------------------



恋のアドバイス/ザ・スパイダース


1966年6月1日リリースだった

アルバム

『ザ・スパイダース・アルバムNo.2』

に収録された

ビートルズのナンバーのカヴァー

(オリジナルは

ビートルズ通算5作目の

アルバムで主演2作目の映画の

サウンド・トラックとして

発表された

1965年

「ヘルプ」収録曲)



このアルバムは

ほとんどがいわゆる

リヴァプール・サウンド

のナンバーで構成されていて


一部日本語歌詞で歌うなど

過渡期的な試行錯誤のあとが

伺える


この

「恋のアドバイス」も

そんな中の一曲で


それまでの

ロッカビリー/カヴァー・ポップス系歌手

のビートルズ・カヴァーとは

異なった、

新時代のバンド・サウンド的解釈による

真っ当なカヴァーがやっと登場してきた感


があります





□涙のイエイエ/ザ・スパイダース



1967年5月20日封切りだった

和泉雅子、山内賢 主演

日活映画『夕日が泣いている』


これもヤングアンドフレッシュが

バンドを結成する話で


スパイダーズは

あくまでゲスト出演なんですが


練習スタジオでは

「太陽の翼」

テレビ局では

「なんとなくなんとなく」

公会堂では

「夕日が泣いている」


の演奏シーンがあり、

どれもレコードでは別テイク


さらに


ジャズ喫茶のシーンで

レコードになっていない

貴重なオリジナル曲を

披露している


それが今

お聞きいただいた

「涙のイエイエ」



66年のファースト・アルバム

に収録されている

「ビター・フォー・マイ・テイスト」に

そっくり






□お花おばさん/ザ・フレッシュメン


エレキブーム全盛の

1965年6月に結成された

ザ・フレッシュメン


このバンドは橋幸夫の

バックバンドとして

よく知られていた


1967年10月に

単独吹き込みで出した

シングル

「バラは帰らない」


を出したが

ビクターが全く

プロモーション

しなかったために


さっぱり評判にならなかった。


そんな

「バラは帰らない」

のB面「「お花おばさん」


なかにし礼の作詞で

のどかな西欧の

お花畑の光景を思わせる

楽曲に仕上がっている


間奏の掛け声も

「花おばさーん ヒューヒュー」

と楽げ

だが

用があるんは

娘のほうかい

あんたたちゃ








愛するアニタ/ザ・テンプターズ


ワイルド・ワンズのヒット曲のカヴァー

当初はタイガースのオリジナルに

予定され、それがフラワーズに

まわり、結局、ワイルド・ワンズに

落ち着いた因縁の曲


このテンプターズによる

ヴァージョンは


1968年3月に発表された

オムニバスLP

『レッツ・ゴー!グループ・サウンド第三集』

に収録されているもの


ガレージ的なファズ・ギターを

駆使してワイルド・ワンズとは

ひと味違う、狂おしい

サイケデリック・ナンバーに

仕上がっている。




グリーン・オニオン/ズー・ニー・ヴー



1966年10月10日リリースだった

アルバム『ズー・ニー・ヴーの世界・R&Bベスト・ヒット』

から。


サム&デイヴ、オーティス・レディング

ジェームス・ブラウンなどの

ソウルの名曲を中心にカヴァーした

アルバムだが


歌ものの中に一曲だけ

オルガン・インストを入れるセンスは

なかなかモッド。


ブッカー・T&MG.'sが62年に

発表したビルボード。R&Bチャート一位になった

ナンバーのカヴァー




ユー・アー・ベター・マン・ザン・アイ/パワー・ハウス


69年GSブームの衰退とともに

台頭してきた

ニューロックバンドの草分けのひとつが

このパワーハウスで


かつて、ゴールデン・カップスとともに、

本牧の伝説のバンドと称された



1969年4月1日リリースだった

アルバム

『ブルースの新星/パワー・ハウス登場』

収録曲


ヤードバーズのナンバー

のカヴァーで


アルバムの中では

ブルース色が薄く

ファズ・サイケ演奏や

コーラスがガレージ的で

GS時代の名残が感じられる

海外のマニアに

もっとも人気がある曲



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by marquis_de_d | 2018-04-29 21:00 | RADIO R'lyeh
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□ 今夜紹介する楽曲 □




レッツ・ゴー・ミリタリー・ルック/ザ・シルビー・フォックス

カム・オン…!/オリーブ

ジン・ジン・ジン/ザ・ヤンガース

シェビデビで行こう/ザ・プレイボーイ

恋はもうたくさん/The Dynamites

夜明けがあるさ/ザ・ジャガーズ

悲しみはぶっとばせ/ザ・スパイダース

キャント・バイ・ミー・ラブ/東京ビートルズ





レッツ・ゴー・ミリタリー・ルック/ザ・シルビー・フォックス


エレキ・バンドの東京ベンチャーズが

GS時代に対応すべく67年秋に

名前を変えて再デヴューしたもの


ミノルフォンから出た

初のGSとして孤軍奮闘して

三枚のレコードを出したものの

結局、成功を収められず

69年にはいって

メンバー一人残して

新メンバーでスタートするも

ダメだった。



本作はセカンドシングルのA面で


ベートーベンの『軍隊行進曲』を

取り入れたコミカルな

イントロが斬新、


流行のモード、ミリタリールックを

テーマにしたもの。


GSファッションと

ミリタリールックは

切っても切れないもので

当時、ほんとに

ミリタリールックの

ジャケットが多いことよ。


当時、「アンアン」「ノンノ」

というファッション雑誌など

無かった時代


ミニが大衆の流行になり

新しい生の

欧米ファッションに

飢えていた

女の子にとって

GSのファッションは

”鑑賞”と同時に

”カタログ”でもあった

と語っているのは

ファッション評論、

ファッション史研究の

川本恵子さん


だからこそ、女の子の

目が大切にされたのだが

代表的ファッションは

「ミリタリー」

だったという



もうひとつ「神様お願い」という

エドワード朝ルック

(ほんとにGSのポーズはこれが多かった)

もあったが、これは

欧米でも、70年代

アダム・アント

80年代のプリンス

など一人でも絵になる男が

出現するまでは

イギリスから輸出されることは無かった


その点、集団プレイに

「ミリタリー」

は当然ではあるが

よくマッチした



これはビートルズの

67年のアルバム

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド」

からヒントをとったもの

と考えられる


歌は世につれ世は歌につれ

といいますが


こういった

時代の世相を

反映していることも


GS再発掘の意義を感じます




カム・オン…!/オリーブ 1970.11.25


シルヴィ・ヴァルタンあたりに

歌わせればもっと売れただろう

と思わずにはいられない楽曲


ショーケン似のボーカリスト

木村みのるが人気だったGSの

三枚目のシングル。


作曲は

和製ソフトロックの名曲を

数多く生んだ

村井邦彦の作品


CD化されるまで、

GSマニアの間では最後の名曲

と噂されていた曲


親しみやすい

バブルガム・ポップで


ポップなメロディを溌剌と

歌うボーカルのわりに

地味に聞こえる演奏は


いかにも70年代ニューロック的


第二のオックスを作ろうとして

ホリプロが全国から

メンバーをスカウトして

69年5月に結成したグループ


デヴュー時は

日本初のツインドラムが

売りだった。


69年10月に純正歌謡曲の

『君は白い花のように』で

フィリップスからデヴュー。


69年秋といえば

「もはや時代はGSではない」

といった

もはや

GS的なものが

世間から急速に消えていった

そんな時期である。


そんななかで、あくまで

旧来のGSスタイルで

売り出された彼らは

いわば最後のGSなのである






ジン・ジン・ジン/ザ・ヤンガース


デヴュー前から

すでにファンクラブの会員が

2000人近くいて

大変な人気だったという

ヤンガーズ


都内の女子中高生を中心に

人気があって、

GS第三世代を

代表するグループ

として、70年代以降も

活躍を続けた。

ヤンガーズは元々

新宿のジャズ喫茶

ラ・セーヌが全国から

優秀なメンバーを

スカウトして67年9月に

結成したバンド。


69年6月にリリースされた

三枚目のシングルのA面

「ジン・ジン・ジン」


この夏、フィリップスは

”サマー・オペレーション・69”

と称して

テルテル

ザ・ウィップ

カサチョック

の三つのニューリズムを

売り出すキャンペーン

展開をおこなっていた。


そのため

カーナビーツ

ヤンガーズ

リリーズの


3GSが動員され

それぞれ、

ニューリズムを

フィーチャーした

新譜を発売することに

なったのである


カーナビーツは

テル・テルの「テルテル天国」


リリーズは

カサチョックの「黒い瞳のアデリーナ」


ヤンガーズは

ザ・ウィップということで発表したのが

このシングル「ジン・ジン・ジン」で


アメリカの黒人の間で

オオモテのニューステップだ

というふれこみで

このシングルは

オリコン97位に入ってます


69年というのは

GSが一斉に歌謡曲化する

時代で

そんな中で

この作品はワイルドな

演奏が光っています。



シェビデビで行こう/ザ・プレイボーイ1967



小田原にゆかりのあるGS


ザ・プレイボーイ


小田原相洋高校の

同級生を集めて結成した

グループ。


カルトGS究極の名曲で、

今も燦然と魅力を放っている魔法のような曲


これは二枚目のシングル。


無意味な歌詞と

ロカビリー臭の漂う

シンプルなロックンロール



最初の二枚のシングルは

50年代ロカビリースピリットを受け継いだような

ガレージロックだった


この路線で

夢のようなアルバムを

作ってもらいたかったほどだが


この後に

メンバーチェンジしてから

コーラス中心の

ポピュラー・ソングを歌う

グループにがらりと様変わりして


歌謡曲っぽいシングルを

三枚出しただけで終わってしまった




恋はもうたくさん/ザ・ダイナマイツ


先日、GS好きの春風亭昇太師匠が

ラジオでこの楽曲を紹介しておりましたが


カルトGSの最高峰として評価されているザ・ダイナマイツ

瀬川洋(せがわひろし)と

山口富士夫という

二枚看板でデヴューした

玄人向けGS



もともと米軍基地で

人気を博した

モンスターズというバンドで


中にはFENの放送で

スケジュールをチェックして

相模原、座間、厚木、

など各地のキャンプまで

追いかけて聴きにくる

ファンまでいたという


立川のジャズ喫茶”ドミノ”

にレギュラー出演するようになった頃

彼らの評判を聞いて

”ニッポン企画”なる事務所の社長と

米国RCAの関係者と称する

アメリカ人が現れて


向こうのRCAから

デヴューさせるような

口車にのせられて

ほいほい契約してみればふたを

開ければ実際には

日本ビクターからのデヴュー。

名前もビクター側の命令でもって

ザ・ダイナマイツと改名させられ

モップスとサニー・ファイブと

セットで売り出されたという



「爆発するエネルギー・リズム・アンド・ブルース・サウンド」という

キャッチコピーでオリコン73位に入るまずまずの滑り出しだった。



「恋はもうたくさん」

デヴューシングル「トンネル天国」の

B面GS屈指の名曲の一つ

瀬川洋の蓮っ葉な唱い方が曲調にマッチしている。


ザ・ダイナマイツ

まあレコードの方はシングル5枚と

アルバム一枚出してますが

商業的な成功はなかったんですね、

69年にこれから

本格的にアルバム制作していこうというところで

GS衰退の波に勝てず、

メンバーの音楽性の不一致みたいな

お決まりのパターンでももって解散した。



69年には

小山ルミ主演の

カルト映画『ケメ子の唄』に

出演しておりまして、

この映画はザ・ダイナマイツが

「ゆめがほしい」を歌っている

シーンがあるというだけで売れた映画。


当時の人気を知る貴重な資料となっております。


デヴュー当時は

プロモーションとして日劇の

荒木一郎ショーにも

連日出演などしておりまして

非常にパワーがあった




夜明けがあるさ/ザ・ジャガーズ


「カーナビー・ビート・サウンド」

なるキャッチフレーズで

カーナビーツと

セットで売り出された

ザ・ジャガーズ


1967年8月1日リリースだった

ライバル、

カーナビーツとミーツ・アルバムだった

『ジャガーズ対カーナビーツ』

A面がジャガーズで

B面がカーナビーツだった。


A面の3曲目に収録された

この曲は


寂れたオルガンの音色が

わびしい典型的な

パンク・バラード


NET(現、テレビ朝日)の

番組『エキサイト・ショー』に

レギュラーとして

ジャガーズとともに

レギュラー出演していた

渡辺貞男が作曲したもの





悲しみはぶっとばせ/ザ・スパイダース


ザ・スパイダーズは元々

コンボ・ジャズ編成で

エキゾチック・サウンドから

歌謡曲までを

レパートリーにしていたが

64年初頭

メンバーのかまやつひろし

がビートルズの米国版アルバム

『ミート・ザ・ビートルズ』を

入手したことがきっかけとなって

ビートルズ・スタイルの

ビート・グループへと

再編成される。


そんな彼らが

66年6月1日にリリースした

アルバム

『ザ・スパイダーズ・アルバムNo.2』は

全曲、ビートルズやアニマルズなど

イギリスのビート・グループ作品

のカヴァーだけで

まとめられた作品だった

井上孝之のリードボーカルが

なかなか切ない味を出している


一番の歌詞を日本語で歌い

二番の歌詞を英詩で歌うという

スタイルは

ロカビリー時代

カヴァーポップス黄金時代の


伝統継承と言える



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恋するラ・ラ・ラ/ザ・フェニックス

マイ・ラブ、マイ・ラブ/ザ・ヤンガース

女の子/ザ・デビィーズ

恋を消すんだ/ザ・ナポレオン

アガナの乙女/ポニーズ

熱くなれない/ザ・モップス

モーディー/ザ・テンプターズ




恋するラ・ラ・ラ/ザ・フェニックス



しげっち

@Shige_Sonics



ルルーズ・マーブルがこのバンドの「恋するラララ」をカバーしてた #るるいえ


※ルルーズ・マーブル:80S隆盛したガールズバンドブームも下火になった頃の

90年代を代表するガールズサイケの白眉



はじめてワウワウペダルを導入するなど

そのサウンドエフェクトの多様ぶり

には右に出るものがいなかった

バンド、ザ・フェニックス


寺内タケシの事務所からにバニーズの弟分として

テリーズに続き1967年に結成され

結成直後、油壺で一ヶ月に及ぶ

長期合宿でお得意の寺内タケシ式スパルタ教育で

鍛えられ、寺内企画、

「1968年の秘密兵器」

というキャッチフレーズで売り出されたものの


デヴューシングル

「恋するラ・ラ・ラ」(1968/1


能天気なロックンロールに


エフェクター使用の

ギターが印象的で

ギュワンギュワンいっている

エフェクターが随所に

確認できますが

ボーカルにも

得体の知れないエフェクトが

かかっているのが

特徴



大衆にはまだサウンドエフェクト過多の

音楽は突飛すぎたのか

いまいち

ヒット要素にかけていた。



ザ・フェニックスは

レコードはシングル二枚で

その後、出ずじまいなものの

横浜、東京のジャズ喫茶を中心に

地道に活動を続け


月に40本という

ライブスケジュールで

ほぼ毎日仕事があり、


実質的には

寺内企画で一番の黒字バンドだった。





マイ・ラブ、マイ・ラブ/ザ・ヤンガース




デヴュー前から

ファンクラブの会員が2000人いた

というヤンガーズ


ヤンガーズは元々

新宿のジャズ喫茶

ラ・セーヌが全国から

優秀なメンバーを

スカウトして67年9月に

結成したバンド。



デヴューシングル

「マイ・ラブ・マイ・ラブ」のA面。


作詞作曲は17才のリードギター

鈴木陽一(1951年3月生まれ)

によるもの。


アレンジにもプロの作家には無い

斬新さがある


レコードセールス的には

デヴューシングル以後も地味で

あんまり売れてないんですけれども


都内の女子中高生を中心に

人気があって、

GS第三世代を代表するグループ

として、70年代以降も

活躍を続けた。


彼らにはもっとこの路線で

録音を残してほしかったものだ






女の子/ザ・デビィーズ



北海道のGS


デビィー中野という

黒人音楽好きの人物がマネージャーになって

67年6月に結成された


「女の子」

69年5月30日に録音された

まま、お蔵入りしていた

ものが

2001年になって

発掘され

CD化したもの





恋を消すんだ/ザ・ナポレオン



関西GSの王者、

リンド&リンダースの

弟バンドとして67年12月、

全員京都出身者によって

結成された。


リンド&リンダースが経営していた

大阪・梅田の”ゴーゴーGT”に

専属出演し

店名と同じオリジナル曲もあった。


68年テイチク/ユニオンから

デヴュー


本作は68年5月に出た

デヴューシングル

「逢いたい逢いたい逢いたい」

のB面でファズ・ギターが小気味よい

ガレージ・パンク。


80年代のネオGSも

熱心にカヴァーしていた

小気味よい

ファズ・パンクの傑作です




アガナの乙女/ポニーズ(1968/12


ロックというよりも

カレッジ・フォーク的な活動を

していた爽やか系GS


新宿のフォーク喫茶

”フォーク・ヴィレッジ”の

社長が


マグマックス・ファイヴ

バインズなど

アチコチのバンドから


メンバーを集めて

1967年10月に作ったグループ


半年以上の

練習をへて

68年8月25日

コロムビアから

「ブルー・エンジェル」でデヴュー


ーーーーーーーーーーーーーーーー

当時、ヤマハホールで開いた

発売記念コンサートには

1500人のファンを動員

優しい、

童謡調のこの曲はオリコンの

65位までいった

ーーーーーーーーーーーーーーーー


68年10月のモンキーズ

日本公演では

フローラル、

ブルー・インパルス

と共に前座に

抜選されるという

栄誉にも浴した


アガナの乙女


1968/12

二枚目『雨ふる街角』のB面


シタールを入れた完成度の高い

ラガーポップに仕上がっており

和製ソフトロックの名作を

数多く手がけている編曲家

東海林(しょうじ)修によるもの


だったが

当時ほとんど評価されなかった。




もっぱら歌のお兄さん的な

親しみやすさで売っていたグループで

存在感はほとんどなかった

ポニーズ



熱くなれない/ザ・モップス


1968/8





ほかのバンドとの

区別化を図るために

サイケデリック・ミュージックを

標榜して登場した日本最初のバンド、

モップスの三枚目のシングル

『おまえのすべてを』のB面


村井邦彦の作曲、星勝を中心とした

バンド自身のアレンジで

GS・アッシド・ロックの

傑作といえる仕上がり


この三枚目のシングルまでは

ファズギターを駆使した

サイケデリック路線が

続いた


しかし


69年に入る頃には

それまでのイメージを払拭




よりシンプルな

ロック、ブルーズ、R&Bと

言った方向に転じることになる。


69年末には東芝に移籍

してますが

意欲的に挑んだ

ロックンロール・リバイバル

的な音楽は全く理解されなかった


海外のガレージ・マニアが

評価しているモップスは

このビクター時代だけ




モーディー/ザ・テンプターズ



1969年東京新宿厚生年金会館大ホールにて

開催されたテンプターズ・ファンクラブ例会でのライブ


25曲演奏された

このステージは

後にリリースされた

テンプターズ唯一の

ライヴアルバム

『テンプターズ・オン・ステージ』

でその一部を聴くことができる


この曲も『テンプターズ・オン・ステージ』

収録曲で


アニマルズの演奏でも知られる

ジョン・リー・フッカー作の

ブルーズナンバー


ショーケンのブルースハープが

フィーチャーされ

黒っぽい魅力で

男性ファンも多かったテンプターズの

ブルース・バンドとしての

側面が再確認できる演奏




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ザ・キャット/井上宗孝とシャープ・ファイブ

心のときめき/ザ・スウィング・ウエスト

恋のサイケデリック/ザ・デビィーズ

恋のシンガリング/ストーンズ

恋はふりむかない/リンガース

J&A/ザ・クーガーズ

ドッグ・オブ・ザ・ベイ/ザ・ボルテージ




ザ・キャット/井上宗孝とシャープ・ファイブ



1966年8月のリリースだった

アルバム『ザ・サイドワインダー』から

「ザ・キャット」


ジャズ・オルガニスト、

ジミー・スミスでおなじみのナンバー



ブルー・ファイヤーにいた

天才ギタリスト

三根のエレキと並んで

このバンドの音楽的支柱である

古屋の粘っこいオルガンが

活躍する


ジャズ・ロック的な

モッドな感覚がでてます





心のときめき/ザ・スウィング・ウエスト


1960年代の

ロカビリー時代から続いている

伝統のあるバンド


というか正確には

1957年三月に結成された

ウエスタン・バンドが

何度も衣替えしている

うちにGS時代まで

生き残ってしまった

というバンド


伝統あるこのバンドも

66年頃には

はやりの

エレキ・ギター・バンドに

なっていたが


バンド編成は

歌手三人に

バンド五人という

前近代のままで

前時代の名残を感じられる


GS時代は68年5月にリリースした

「幻の乙女」のB面

『雨のバラード』が

思わぬヒットを飛ばし

このバンドの存在も

少しは知られるようになったが

70年には解散。


御聴きいただいたのは

1968年2月15日リリースの

5枚目のシングル

『ストップ・ザ・ミュージック』の

B面「心のときめき」


オランダのバンド

ウイリー&ヒズ・ジャイアンツ

(ウイリーと彼のジャイアント)の

63年発表のインストナンバーに

日本語歌詞をつけたもの


ファズと親しみやすいリフを

交互に演奏している


なお、この頃の

動くスウィング・ウエストを

1967年7月封切りの

日活映画『前科・ドス嵐』

で見ることが出来る


クラブで「そよ風のバラード」を

歌うシーンだ。

ビデオ化されているので

運良く発掘した人は

チェックしてみていただきたい




恋のサイケデリック2:37ザ・デビィーズ1968




デビィー中野という

黒人音楽好きの人物が

マネージャーになって

67年6月に結成された

北海道のGS

ザ・デビィーズ


「トワイライトゾーン」を

イントロにつかった

チープなサイケデリック・ソング


1968に

ミノルフォンからリリースした

ムードコーラス調の

デヴューシングル

「青いささやき」のB面。

「恋のサイケデリック」



北海道のGSは

ムードコーラス感の強い

イメージでしたが

68年という時代に感化され

サイケデリックサウンドに挑戦し始める。


そんなわけで

このグループも

二枚のシングルを

出していますが

まあ、

いずれもヒットとは無縁だった

その後、レコードを

出す事は無かったようですが


実力派R&Bグループとして

しばらくは札幌で

活動を続けていたようです




恋のシンガリング /ストーンズ(1969/6


良い声ですよね


69年に「寺内タケシとブルージーンズ」に

参加するベーシスト石橋志郎と

ボーカルのルイ高橋らによる

幻のグループ


徳間の倉庫で保管されていた

未発表テープより


この曲は69年春に録音されていながら

発売されず、ブルージーンズで再録され

シングル「太陽に叫ぼう」のB面

「パパンパ・パン・パン」として発売された。





恋はふりむかない/リンガース(1969/5


唯一のシングルで

和製R&Bの逸品

はりのある歌声に

いい感じのファズギター

が絡み合って気持ちいい曲です


元々は新潟のクラブで活躍していた

ムードコーラスのグループで

「新潟ブルース」

「信濃川慕情」といった

オリジナルが地元では

ヒットしていた。


それが何故か

GSブームに便乗しようと

69年5月にクラウンから

「恋はふりむかない」でデヴュー


ムードコーラス出身とは思えない

ファズを駆使したR&Bだった。


が、ブームはすでに下火であったことに

気がつき、デヴューの4ヶ月後には

元の名前である「山岸秀樹とサムナイツ」

と改名。元のムードコーラスに戻って


「こころがわり」


で再デヴューしたという

冗談みたいなグループですが




J&A/ザ・クーガーズ(1968/2


三枚目のシングル「好きなんだ」のB面


これはかっこいい。


カッコイイ

スカスカのガレージ


こういう曲をやれる

ってのが素晴らしい


この60年代ガレージ・バンド特有の

スカスカの音は

いまやろうとしても

再現することはきわめて難しい。


テクテク天国の印象が

強烈すぎるので

逆にこういう名曲は

埋もれてしまっている


(といってもテクテクも埋もれているが)


実際に1年で4枚のシングルを

だしているもののヒットには繋がらず

この年、1968の夏には解散に追い込まれてます




ドッグ・オブ・ザ・ベイ/ザ・ボルテージ




ボルテイジの事務所、

富士音楽企画の社長

木村信夫氏がもっと

外国にも

対抗できるような本格的な

R&Bバンドを作ろうとして

見つけてきたのが

ボルテイジというわけだが


GSによるR&Bカヴァーの

理想型を見ることのできる

1968年8月に出した

ボルテイジ唯一のアルバム

『R&Bビッグヒット』


全曲、R&Bのヒットナンバーで

ホーンセッションは使わずに

めいっぱいにかけたファズと

限りなくチープなオルガンが

大活躍。


GSとしてのアイディンティーティーを

失わずに”ファンキー”

”グルーヴ”と言った

黒人音楽の本質に鋭く迫っており


特に感動的なのは

この『R&Bビッグヒット』の

A面4曲目に収録されている


1968年に世界中で大ヒットした

オーティス・レディングの

ナンバーのカヴァー


ドッグ・オブ・ザ・ベイ


ボーカルの橘洋介の

鼻にかかったような

声が可笑しみを誘う



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by marquis_de_d | 2018-04-08 21:00 | RADIO R'lyeh
■D,侯爵の『RADIO R'lyeh』、第弐佰八十禄夜■
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こんやもラジオルルイエ
今宵の永遠に付き合う皆様、どうぞよろしく…


□ 今夜紹介する楽曲 □




サイケデリック・インストゥルメンタル/ザ・スパイダース

わたしの祈り/小山ルミ

マンズ・マンズ・ワールド/ザ・ボルテイジ

ジャスト・ア・リトル/ザ・リード

ジャンピン・ジャック・フラッシュ/ザ・テンプターズ

ハイウェイの孤独/ズー・ニー・ヴー

ハイウエー・ラブ/ブルー・シャルム



サイケデリック・インストゥルメンタル/ザ・スパイダース



主演映画第三作目

1968年5月封切りの

日活『ザ・スパイダースの大騒動』

で使用された楽曲


凡百のテケテケ・エレキバンドには

到底真似できない

おしゃれな

サイケ感

ジャジーな

フュージョン感


ここまでできなきゃ

いけないのか


スパイダースが

エレキ・インスト・バンドとしても

相当の実力を備えていた事が

わかります。





わたしの祈り/小山ルミ 1968


70年代は

セクシー歌謡路線の

トップスタアだった


小山ルミの

清純派アイドル時代

1968年にビクターから出した

唯一のシングル

『はじめてのデート』のB面



同年の映画『ある少女の告白 純血』に歌唱シーンがある


和製R&Bの隠れた名曲

A面のかわいらしさから

うってかわって

低音ピアノ

ギターの低音弦奏法から

テナーサックスがむせび泣く

夜の街を連想させる

ジャジーなサウンド

のイントロで始まる


ビクターからテイチクに

移籍後の

70年代は

「さすらいのギター」などの

ヒットがあり

独特のグルーブ感のある

歌唱は現在でも

根強い人気がある



(1968年だとまだ720の司会とか

スナッキーガールズをやっていた頃っすね



小山ルミも父親がアイルランド人という

ハーフで

このハーフというキーワードは

GS時代ガールズ・ポップの

シンボル的存在だった

戦後、アメリカ軍の

駐留に伴って生まれた

たくさんの混血児たちも

ちょうど、GSブーム

のころに思春期を迎え


とりわけ、

当時大漁にデヴューした

ハーフの少女たちは

GS特有の

無国籍性を

存在そのもので

体現していたといえる



1965年に各社から

一斉に発売された

60年代コンピレーションCD

『キューティ・ポップ・コレクション』

シリーズでも

ジャケットを飾ったのは

小山ルミを筆頭に

ほとんどが

ハーフのガールシンガーだった


また、

1968年というのは

GSギャルたちの

ひとつの終焉の時期でもあり


カルメン・マキが

フォーク調の

「時には母のない子のように」

でデヴューした

1969年春に

GSギャルの時代が終わる


ちょうど、

東大で安田講堂の攻防戦が

あったり、新宿に

フォークゲリラが

出現した頃で

世の中の空気が

がらりと変わってしまった。


これ以降、

日本の女性シンガーは

”フォーク”のモードに入ってしまう


□マンズ・マンズ・ワールド/ザ・ボルテイジ


我ながら渋い選曲を

してしまいましたが

調べたらこの名カヴァーを

ルルイエで一度も

使っていなかったことが

判明し、深く反省しております


R&Bバンドを標榜していた

日本のGSの大半が

実は

ストーンズやゼムといった

白人R&Bをカヴァーしていたに

すぎない中で


黒人ソウル音楽しか

レパートリーにしなかった

数少ない本格派バンドが

ボルテイジだった




68年8月にリリースされた

唯一のアルバム『R&Bビック・ヒット』

のA面6曲目に収録されているのがこの曲


ジェイムス・ブラウンのヒット曲

マンズ・マンズ・ワールドのカヴァーだが

GSのアイデンティーティーを

失わない、そのチープな

演奏ぶりは感涙モノ


特に感動的なのは

ドラムの金剛文治のソロ


このアルバムの

レコーディングの

際には

ソウルミュージック

R&Bミュージックなど

ブラック・ミュージックを

日本に紹介した第一人者

桜井ユタカ氏


が付きっきりで

アドバイスをしたという

からその気合いの

入り方に

尋常ならざるものを

感じます。







□ジャスト・ア・リトル/ザ・リード





1968年10月25日リリースだった

リードのファースト・アルバム

『ザ・リード・ゴーズR&B』

に収録された曲


”ロックン・ロール・リバイバル”

という当時の風潮に便乗し、

オールディーズのR&B的解釈を

試みたアルバムであったが


実際にはR&Bというより

ブルース・ロック

といったほうが近い

仕上がりだった。



GSとしてデビューすることになった

在日アメリカ人バンド

1968年10月に

発足したばかりのRCAビクターから

第一回新譜として

和田アキ子

ブルー・インパルスら

とともに売り出された

その時のデヴュー・シングルが


1968年10月25日リリースだった

「悪魔がくれた青いバラ」

だった


「誓いのフーガ」や

「サウンド・オブ・サイレス」路線を

狙ったソフト・ロックであったが


地味すぎたのか

不発に終わった。


もっぱら、メンバーの

日系人アーダクル・タミヤ


の美少年ぶりが売り物

というだけで


結局、彼らは

たんに外国人の

グループというだけであって


スーナーズのような

衝撃を日本に与えることは

なかったのである。


しかし、


リードといえば

当時のミュージシャンならば

知る人ぞ知る存在で


リード・ギターの

マーク・エルダーが

チョーキング奏法を

日本に持ち込んだ

まさにその人なのである。


それまで、

日本のバンドは

チョーキングを知らなかったのである


ザ・リードは

赤坂のクラブ「チータ」の

ハウス・バンドとして

活動しており

マークの演奏を見て

度肝を抜かれたという

GSマンは多い


そこには

マークのブルース・ギターを

盗み見するために

日本のGS連中が

毎晩のようにやってきていた

というのである。


ダイナマイツの山口富士夫も

その一人で

「とにかくアンプはボリュームいっぱい

トレブルもベースもいっぱいにして

こうやってチョーキングすれば

クリームみたいな音が出るんだっていうのが

俺は見てすぐわかったわけ


で、真似してみたら

同じ音が簡単に出た」


と『日本ロック大系上巻』に証言がある


山口富士夫が

ギブソンのES-355ステレオ・ヴァージョン

を使うようになったのも

その時にマークが使っているのを見た影響だと言っている


このほかにも

柳ジョージ

浅野孝巳

陳信輝など

多くのミュージシャンが

マークの演奏を見て

ブルース・ギターを学んだことを証言している


マーク・エルダーは

チョーキング奏法の伝道師

と呼ぶべき存在だ





ジャンピン・ジャック・フラッシュ/ザ・テンプターズ



1969年4月20日、

東京・新宿厚生年金会館大ホールにて

開催された

テンプターズ・ファン・クラブ例会でのライヴ


このイベントではテンプターズの

ライヴをはさんで

メンバー愛用品のプレゼント・コーナー

ファンからの質問に直接メンバーたちが

答えるQ&Aコーナーなどを

盛り込んだ

テンプターズの親睦会的要素の強いものだった


会場を埋め尽くした

ティーンエイジの

女の子たちの

つんざく、黄色い悲鳴と

「テンプ」コール


サイレンの効果音がなり響き

ギター・アンプの上など

数カ所におかれた

赤いパトランプが点滅する中


演奏がスタートするという

演出が効果的だった

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」で

このライヴはスタートした


この様子は

後にリリースされた

テンプターズ唯一の

ライヴアルバム

『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』で

その一部を聴くことができる



ハイウェイの孤独/ズー・ニー・ヴー


ズー・ニー・ヴー


「白い珊瑚礁」のヒット曲を持つ

和製サム&デイヴと呼ばれたグループ


渋谷のレストラン・クラブ

"カバーナ"の専属として腕を磨いていた

もっぱら通好みのR&Bを

レパートリーにしていた事

で評判を呼び

コロンビアから

当時としては異例のアルバムによるデヴューを飾ったグループ。


1968年10月10日リリースだった

彼らのファーストLP

『ズー・ニー・ヴーの世界/R&Bベスト・ヒット』

収録のオリジナル曲

ズーニーヴーの

オリジナルの中では

最もガレージ的な曲で

スリリングな

R&Bサイケの傑作


1987年にアメリカでリリースされた日本のGSコンピレーション

『Sixties Japanese Garage - Psych Sampler』にも


「Lonely Highway」のタイトルで紹介された。



□ハイウエー・ラブ/ブルー・シャルム



アスナロ

@posupo13


3/18


@marquis_de_d ドライビングソングと言えばハイウェイの孤独とアイムショックド、かもしれませんが、ハイウェーラブもよろしくお願いします!


ドライヴィング・ブルース/井上宗孝とシャープ・ファイブ

燃えろサーキット/ザ・リンド & リンダース


とかもあるけど


作曲家、馬飼野康二(マカイノコウジ)

が在籍していたことで

知られるグループ



1968年結成

六本木のクラブで

演奏していたところを

西郷輝彦に

見出され


CBS・ソニーと契約

69年1月に

「抱きしめたくて」

でデヴューした


GS的外見にもかかわらず


当初は

”ムード歌謡のヤンググループ”

というキャッチコピーで

全くのムード・コーラス・グループとして

売り出された


当時は流行のムード・コーラスで行くか

落ち目のGS路線で行くか

迷いがあったようだ


しかしその後は本来の路線に

転じ、1969年夏に出した

二枚のシングルのA面は

いずれもGS調のものだったが

ヒットには繋がらなかった


お聞きいただいたのは

その

1969年8月にリリースした

二枚のシングルのうちの一つで

『ハイウエー・ラブ』のA面

「ハイウエー・ラブ」


このバンドとしては最も

GS色の濃い作品で


サウンドエフェクト入りの

ホット・ロット歌謡


オーケストラはなかった方が

よかったのかもしれない



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